今日の十角館の殺人はどうかな?
夕食が終わったばかりの十角館のホールは、すでに弱々しいランプの光だけが揺れる薄闇の中にあった。
「何だが気持ち悪いと思わない?」
食後のコーヒーを配りながら、アガサが言い出した。
「このホールの壁よ。目が変になっちゃう」
ランプの明かり一つで浮かび上がった10枚の白い壁。それぞれの壁面は、互いにちょうど144度の角度で接しているはずなのに、光の加減で曲面に見えたり鋭角に見えたりする。中央テーブルは整った十角形の輪郭を頑として崩さないから、よけいにホールの外周が奇妙に歪んで見えるのである。
「本当だ。くらくらしてくるね」
ヴァンが充血した目を押さえた。
「早めに寝ろよ、ヴァン。顔色がまだ良くないぞ」とポウがたしなめる。
アガサがヴァンの額に手を伸ばした。
「熱あるじゃない。駄目よ、ヴァン。もう寝ちゃいなさい」
「まだいいよ。7時じゃないか」
「良くないわ。無人島なんだから、ここ。ちゃんとしたお医者さんもいないんだし、もしもこじらせたら大変でしょ」
「分かったよ」
母親に叱れた子供のようにヴァンはしおしおと立ち上がって、自分の部屋のドアに向かった。その時-
「早々に引き揚げて、暗い部屋の中でいったい何をしていることやら」
ヴァンはノブに伸ばしかけた手をぴくりと止め、カーを振り返った。
「僕は寝てるだけだよ、カー」
「今朝の殺人予告はお前の仕業だと思ってるのさ、俺は」
「ヴァン、相手にしないで早く行けよ」とエラリイが言った。
「こう状況ではさ、まずヴァンを疑ってかかるのが常道だとは思わないか。
考えてもみなよ。こんなふうに複数の人間が一つのところに集まって、そこでたとえば連続殺人なんてものが発生したとしようか。そういう場合はたいてい、その集まりの招待客が主催者が犯人、さもなくば一枚噛んでるもんだろう。
どうなんだ、招待客ヴァン」
「冗談はよしてくれ。僕は別にみんなを招待したわけじゃない。伯父がここを手に入れたよって、声をかけただけなんだ。旅行の主催者は、次期編集長のルルウだし」
「その通りだ。ルルウから相談を受けて、それならぜひこのメンバーで行こうじゃないかと、積極的に話を進めたのはこの僕でね」とエラリイが語気が強めた。
「ヴァンを疑うのなら、同じ理由で僕とルルウも疑う必要がある。でなきゃ、論理的とは言えないな」
「俺はな、人が殺されちまってから、あたふたと論理を組み立てるような名探偵どもは嫌いなんだ」
「招待者が犯人なんてパターンは、しかしあまりにもありきたりだねえ。僕だったらまあ、招待を受けた時に、その機会をうまく利用するように立ち回るが」
「なんて会話だ!まったく」とポウが怒鳴りつけた。
「名探偵だの名犯人だの、お前ら、現実と小説の区別もつかんのか。
まず、今みたいな論争はまったく不毛だってことだ。俺たちがこの顔ぶれで集まるのは、何も今回に限った話ではあるまい。むろん、カーの言う通りヴァンが犯人で、美味しい餌を投げて俺たちに喰いつかせたのかもしれん。エラリイかルルウが犯人で、率先して旅行の計画を立てたのかもしれん。あるいはカー、お前が犯人で、何かいい機会を待っていたところへ今度の企画が持ち上がったのかもしれん。可能性を言い合うだけなら、いくらでもできる。
お前らはあれを、頭から殺人の予告だと決めてかかっているが、そもそもそれがナンセンスなんじゃないかな」
例えば、とポウは、昼間にヴァンに語った一つの解釈を皆に示した。
「それですよ、ポウ先輩」とルルウは手をたたいて喜んだ。
エラリイは、「もしこれで本当に塩を入れてきたら、僕は犯人のセンスに脱帽するよ」と言った。
「楽天的で結構なご意見だな」とカーはふくれっ面で席を立ち、そのまま乱暴な足取りで部屋に引っ込んでしまった。
それを見送ったあと、掠れ声で「おやすみ」と言いながら、ヴァンも部屋に消えた。
「犯人が誰なのか、何となく楽しみになってきたじゃない」とアガサがオルツィに微笑みかけると、「そうね」とオルツィは目を伏せたまま、小声で相槌を打った。
「誰が『第一の被害者』かな。これはちょっと面白いゲームになってきたぞ」と、エラリイがつぶやいた。
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