今日の十角館の殺人はどうかな?
てきぱきと洗い物を片付けているアガサと、横で手伝うオルツィ。
「あら、オルツィ、素敵な指輪ね。今までそんなの、嵌めてたっけ」
「ううん」
「誰かいい人に貰ったのかな」
「そんなんじゃないわ」
そう言いながら、オルツィは島へ行くことを決めた時のことを思い出す。
(冒涜ではなく、死者に対する追悼のため、わたしは島へ行くのだから)
「相変わらずね、オルツィ」
「え」
「いつもあなたは、そうやって自分の内側に閉じこもってる。会誌に載ったオルツィの作品を読んでると、あなたって、自分の書く小説の中じゃ、あんなに生き生きとして、明るくって。なのに・・・」
「夢の中だから。わたし、現実は苦手なの。現実の自分が嫌だから、好きじゃないの」
「何言ってるの。もっと自信を持たなきゃ駄目。あなたって可愛いのよ。自分で分かってないだけなんだから。そんなに俯いていないで、堂々としてなさい」
「いい人なんだ、アガサ」
ポウは一人で、焼け跡の先の林の中に分け入っていったが、エラリイ、ルルウ、ヴァンの3人は青屋敷跡にまだ残っている。
「せっかく7日間もあるんですから、とにかくお願いしますよ」
「おいおいルルウ、冗談だろ」
「僕はいつも、至って真面目ですよ、エラリイさん」
「しかし、そう急に言われても・・・なあ、ヴァン」
「エラリイに同感」
「だからぁ、例年よりも早く、4月の中旬までに『死人島』を出したいんですよ。せっかく編集長になるんだから、僕もそれなりに頑張ろうと思ってるんです。その最初の仕事で会誌がペラペラ、なんていう事態は絶対に避けたいですからね」
文学部2回生のルルウは、この4月からミステリ研究会の会誌『死人島』の編集長を務めることになっているのである。
エラリイは、法学部の3回生で、『死人島』の現編集長でもある。
エラリイはセーラムを取り出し、封を切りながら言った。
「そういう時はカーをおだてるんだよ。内容はともかく、我が研究会一の量産家だからね、あいつは」
「そういえば、カー先輩、ご機嫌斜めみたいですね」とルルウがいうと、エラリイがふふっと笑いながら答えた。
「そういえば、カー先生、つい最近アガサに言い寄って、あっさり振られたらしい。で、今度はオルツィにちょっかいをかけたら、これまた相手にしてもらえなかったらしいんだな」
「面白いわけないですねえ。自分を振った相手が、2人揃って同じ屋根の下じゃあ」
「だからルルウ、よっぽどうなくおだてなきゃ、カーの原稿は貰えないぜ」
カーが十角館の裏手から松林に入り込む小道を進んでいくと、崖の上に出た。
そこにはポウが立っていた。
「カーか。島の北岸だ。あれが、猫島らしいな」と間近に見えるちっぽけな島を指さすと、カーは浮かない様子で「ふふん」と返事した。
カーはエラリイと同じ法学部の3回生だが、1年浪人しているため、年齢的は1学年上のポウと同い年だ。
ポウは印籠のように腰にぶらさげた樺細工の煙草入れからラークを1本取り出して咥えると、カーにも差し出す。
「インテリの吸う煙草じゃないな。しかし、まあエラリイお坊ちゃんのメンソールに比べりゃ」
「それだ、カー。お前がいちいちエラリイに咬みつくのもいけないんだぞ。奴に喧嘩をふっかけても、いいように茶化されてあしらわれるだけだろうが」
カーは自分のライターで煙草に火を点け、ぷいと顔をそむけた。
やがてカーは、途中まで吸ったラークを海に投げ捨てて、ジャケットからウィスキーのポケットボトルを取り出す。乱暴にキャップを開けると、ぐいと一口、喉に流し込む。
「昼間っから酒か?あまり感心できんな」
「おたく、まだあのことを気にしてるのかい」
「分かってるのなら」
「あれからどれだけ経つ?いつまでも気にしちゃいられないさ」
そういってカーはまたボトルを傾ける。
「面白くないのはエラリイだけじゃない。無人島へ来るのに女が一緒なのも気に食わないね」
「サバイバルに来たわけじゃなかろう」
「アガサみたいな高慢ちきな女とは一緒にいたくないんだ。おまけに、もう一人はオルツィ。あんな陰気で何の取柄もない」
「そいつは穿ちすぎだろう」
「おたくとオルツィは、そういや幼馴染だったっけな」
十角館のテーブルには昼食の用意が整っている。ベーコンエッグに簡単なサラダ、フランスパン、コーヒー。
「食事時に何ですが、改めて少しご挨拶をば」とルルウが話し始めた。
「この十角館に来てみたいというのは、今年の新年会の頃から出ていた意見でした。しばらくして、この建物が伯父上の手に渡ったからと、ヴァンさんがわざわざご招待くださいまして」
「別に招待したわけじゃないよ。行く気があるのなら、伯父さんに頼んでやってもいいって言っただけだから」
「まあヴァンさんの伯父上は、御存じの通り、S町で不動産業を営んでおられます。手に入れたこの角島を近い将来、若者向けのレジャーアイランドに大改造しようという計画を持っておられる。とにかくですね、我々はそのための一つのテストケース、といった意味も兼ねて今日こうして、ここに来られる運びとなったわけです。ヴァンさんにはまた、朝早くから諸々の準備まで引き受けていただきまして、まずはお礼を申し上げねばなりません。どうもありがとうございました」
ルルウは、ひょこりと最敬礼してみせた。
「で、ここからが本題でありまして、今日この場に集まったのはいずれも、すでに卒業された先輩方から才能を見込まれて名前を頂戴して者ばかり。つまり、我が研究会の主要な政策人が一堂に会しているわけですが・・・」
K大ミステリ研究会において、会員たちが互いにこういったニックネームで呼び合うのは、会の創設当時から受け継がれてきた一種の慣習であった。
10年前にこの会を結成したメンバーたちは、ミステリマニアの持ち前の稚気から、当時はまだ少人数だった会員の全員に、欧米の有名作家の名にちなんだニックネームを付けた。その後、年々の会員増加に伴い、当然めぼしい作家名の数のほうが足りなくなってきたのだが、その打開策をして考えられたのか、名前の引継ぎという方法だった。すなわち、作家名を持った会員が卒業の際、選んだ後輩に自分の名前を引き継がせる、といったシステムである。
おのずから各後継者の選定は、会誌における活躍ぶりを基準として行われるようになった。したがって、現在これらのニックネームを持つ者たちはそのまま、会の首脳陣でもあるわけで、それゆえ彼らが、何かにつけて集まる機会の多い顔ぶれであることも事実なのだ。
「この強力メンバーがですね、今日から1週間、雑念が入る余地のないこの無人島で暮らすわけです。時間を無駄にする手はありませんよね。原稿用紙は僕の方で用意してきました、皆さん、4月発行の会誌のために、この旅行中に1作ずつ、ぜひともよろしくお願いします」
ちょこんと頭を下げるルルウは、えへへと笑った。
エラリイは、隣籍のヴァンに向かって「今度の編集長は喰えないね」とささやいた。
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