今日の十角館の殺人はどうかな?
「お前のことだから、今日一日でもう、探偵ごっこはうんさりって顔なんじゃないかと思ってなんだけどね」
ティーバックを放り込んだカップの湯を注ぎながら、守須は半ばからかい口調で言った。
「まあ、とりあえず調査報告といこうか、探偵殿」
そして、江南は今日自分たちが入手した情報を、要領よく守須に伝えた。
「ふうん、なるほどね」
2杯目の紅茶を淹れて、守須は砂糖も入れずに飲み干した。
「で、明日はどうするつもりなんだい、ワトスン君」
「正直いってやっぱり、ちょっと気抜けした感じなんだよ。そもそも長い春休みで退屈だったんだろうな。そこにあの、死者からの手紙だろう。無視なんてできるわけない。例によって、こいつは何かあると勇み立ってはみたものの・・・」
「退屈しのぎ、大いにけっこうじゃないか。ところで守須君、安楽椅子探偵の意見を聞きたいな」と島田が言った。
「実は昨日、話を聞いた時から、一つ考えていることがないでもないんです。」
「ふむ。コナン君の言う通り慎重派だね、君は」
「つまりね、角島事件のパターンは例のネヴィンス・ジュニアが言うところの、バールストン・ギャンビットなんじゃなかな」
「青司が本当に生きているっていうのか」と江南が声を上げた。
守須は3杯目の紅茶を淹れながら、ゆっくりと言葉をつづけた。
「全身に灯油をかけられて燃えた死体だ。顔はもちろん、たとえば体に古傷は手術の痕があったとしても、そう簡単に確認できやしない。しかもその上、ちょうど時を同じくして行方不明になった庭師がいるときてる。
島田さん。ちょっとして青司と吉川誠一の年齢や背格好、もう調べてあったりしませんか」
「ははっ、鋭いね、さすがに。
吉川は青司と同い年、同時46歳だった。体格はともに中肉中背。ちなみに、血液型も同じA型だ。焼死体から検出されたのも。当然ながらA型だった」
「どうやってそんなことまで調べたんですか」
「おや、言ってなかったかな。ちょっとその、警察にコネがあったね。さて守須君、仮に中村青司と吉川誠一の入れ替わりがあったとしてだ、じゃあ君は、どのように事件を組み立てなおす?」
「最初に殺されたのは、和枝夫人でしたね。推定された死亡時刻は17日から18日の間、でしたか。吉川誠一が島に到着して、政子に電話を入れたのが17日の午後ということですから、恐らくこの時はもう夫人は殺されていたのだと思います。彼女の姿が見えないのを訝しむ吉川に対して、青司はたとえば、病気で寝込んでいるのだと偽った。
次に青司は、事の発覚を恐れ、北村夫婦と吉川を殺してしまおうと決心した。3人に薬を持って縛り上げ、自由を奪う。そして19日、北村夫婦を斧で殺害。その後、薬で眠らせ続けていた吉川を、和枝夫人を殺したのと同じ部屋に運んで、拘束を解いて、もしかすると自分の服を着せ替えたうえで灯油をかけた。屋敷に火を放ち、島から逃げる。
こうして、犯人である青司と被害者の一人である吉川との入れ替わりが成立したわけです。ただし、このように考えても依然、不明な箇所がいくつか残ります」
「ふん、それはどんな」
「第一は動機ですね。そもそも青司はなぜ、20年以上も連れ添ってきた夫人を殺さなきゃならなかったのか。
第二は、これも昨夜言いましたけど、切り取られた手首の件。青司はなぜ、夫人の左手首を切り取ったのか。それをどこへやってしまったのか。
第三は犯行時刻のずれの問題です。最初に夫人を殺したのが17日だとして、最後の吉川が20日未明。この3日間、いったい青司は何をしていたのか。
最後に、そうして犯行を終えた青司は、どのようにして島を脱出したのか。その後現在に至るまで、どこに身を潜めているのか」
「だいたい、僕がここに来るまでに考えていたのと同じだな」と島田が言った。
「そしてね、どうやら僕は、いま君が列挙した疑問点のうちの、少なくとも最初に一つには答えられそうに思う」
「和枝夫人を殺した動機についてですか」
「そうだよ。むろんこれも、さっき君が言ったのと同じで、憶測の域を出ないものだがね」
「嫉妬ですか」
守須がそろりと問うと、司または唇をすぼめて頷いた。
「コナン君、吉川政子が中村千織について話したこと、覚えているかい」
「ええ、そりゃあもちろん」
「千織が島に帰ってくるころはめったになかったようだ。それから和枝夫人は娘を溺愛していたと言っていたが、青司のほうはどうだったかと聞くと」
「彼は子供が好きではなかったんじゃないか、という風に言ってましたね」
「僕が言いたいことはもうわかるだろう」
「千織は青司の娘じゃなかった、と思うわけですね」
「その通りだよ、守須君」
「では、誰の娘だったと」
「それは、中村紅次郎の、さ。政子によると、彼女が吉川と結婚して家を出るまでの頃には、紅さんはたびたび島を訪れていたというんだね。つまり元からそんなに兄弟仲が悪いわけじゃなかったのさ。そして紅さんがふっつりと島に来なくなった、その時期というのは実は、千織の生まれた時期と一致するんじゃないかと思うんだ」
「それで今日の帰り、紅次郎氏の家に寄ってみたわけですか」
「そう、紅さんに会って、ちょっと探りを入れてみようと思ったんだが」
いたたまれに気分になった守須は言った。
「そういうことは、やめておくべきだと、僕は思いますね。
さしでがましいようですけど、いくら島田さんが紅次郎氏と親しくしていらっしゃるにしても、そこまだ立ち入った問題を今から詮索するのは、どうでしょうか」
「しかし守須、吉川誠一の女房を実際に訪ねてみたら、なんて言い出したのはお前じゃないか」と江南が言い返した。
「軽はずみなことを言ってしまったなって、今日一日、後悔してたよ。面白半分でそういう真似をするのは良くない気がする。山の中で一日中、石仏と向かい合っていたら、ますますそう痛感してしまってね」
キャンバスの絵は、パレットナイフで厚く色づけが施された段階だった。
「何だが身勝手は話ですけど、島田さん、この辺で僕はもう降りたいと思います」
守須が言うと、島田は別に悪びれる様子もなく、
「じゃあ君の結論は、やはり青司が生きていると、そういうことだね」
「僕が指摘したのは、これまであまり取沙汰されなかった一つの可能性に過ぎません。実際問題として、では青司が本当に生きているのかと聞かれたら、きっと僕はノーと答えるでしょう」
「手紙の件は、どう解釈するのかな」
「おおかた島へ行った連中のうちの誰かが、悪ふざけでやったんですよ。
お茶、飲みますか」
「いや、結構」
守須は自分のカップに4杯目の紅茶を淹れた。
「仮に、本当に青司が生きていたとしましょうか。その場合でもしかし。さほど愛してもいなかった、むしろ忌み嫌っていた娘、千織の死に関するあんな告発文を、いったい彼が書くものでしょうか」
「はあん」
「例えば殺意なんていう極端な感情を長く心に意地し続けるのは、普通に想像するよりも遥かに大変なことだ、と。
もしも半年前のあの事件を起こしたのが青司で、彼が同時に和枝夫人だけではなく、千織を死なせた若者たちや弟の紅次郎氏に対しても殺意を抱いていたのだとしたら、その殺意が狂気とい形で爆発したのだとしたら、彼は夫人を殺して、返す刀で紅次郎氏や若者たちまで殺そうとしたんじゃないでしょうか。いった身を隠しておいて、半年も経った今になってあんな脅迫状めいたものを出す、そうして例えば彼らへの復讐を開始しようなんてね、人間の神経はそれほど強靭にできてはいないと思うんですよ」
江南は仰向けに寝転がって腕を組んだ。
「ま、島田さんも僕も暇人だからね。お前のポリシーはともかくとして、もうちょっと探偵ごっこは続けてみるから」
「無理にやめろとは言わないよ」
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