今日の十角館の殺人はどうかな?
3人はホールの椅子に離れて座った。
「最後の被害者、探偵、殺人犯人・・・か」
ホールに戻って自分のコーヒーを淹れながら、エラリイは独りごちた。
「まったく信じられないな」
妙な空々しい調子で、ポウが口を切った。
「俺たちのうちの一人が、4人の仲間を殺した犯人なんだぜ」
「あるいは中村青司がね」と、エラリイが付け加えた。
ポウは苛立たし気に首を振って、
「可能性は否定しないが、やはり俺は反対だな。そもそも彼が生きているという説自体、賛成しかねる。あまり絵空事めいている」
エラリイは、「ふふん」と鼻を鳴らした。
「じゃあ、この中に犯人がいるわけだ」
「だからそう言ってる」
ポウは憤然とテーブルを叩いた。エラリイは動ずる様子もなく横髪を撫でつけながら、
「もう一度、最初から検討してみるかい」
椅子に背を向け、天窓を仰ぎ見た。空は相変わらず、どんよりと暗い。
「始まりは、あのプレートだったね。誰かがあらかじめ用意して、島に持ってきた品だ。大してかさばる代物でもないから、気づかれないように持ち込むのは容易だったろう。犯人は僕らの3人の中の誰でもありうる。
3日目の朝、犯人はプレートの予告を実行に移した。『第一の被害者』はオルツィーだ。犯人は彼女の部屋に窓から、あるいはドアから忍び込み、首を絞めて殺した。凶器の紐は、死体の首に残っていたと言ってたね、ポウ。まず問題とするべきなのは、犯人がどうやってオルツィの部屋に入った、か。
発見当時、ドアにも窓にも鍵が掛かっていなかった。前の日、最初にあのプレートを見つけたのはオルツィだった。相当に怯えて、不安を感じていたに違いないね。
とすると、どうだったか。考え方はいろいろあるだろうが、基本的には次の二つに絞ることができると思う。一つは、窓の方の掛け金だけをオルツィが掛け忘れていて、犯人はそこから忍び込んだのだという考え方。もう一つは、犯人が彼女を起こして、ドアの鍵を開けさせたのだという考え方だ」
「窓から忍び込んだのなら、どうしてドアの鍵まで外してあったのかな」とヴァンが質問した。
「プレートを取りに出たか、あるいはプレートを貼り付けるため、とも解釈できるね。しかし、ポウの主張に従って犯人を内部の者に限定するのなら、僕はむしろ後者、すなわちオルツィにドアを開けさせたという考え方のほうに焦点を当てるべきだと思う。
いくら早朝で、彼女がまだ眠っていたとしても、あの窓から部屋に入るには多少の物音が伴っただろう。そんな危険の冒すよりも、研究会の仲間なんだったら、何か口実を設けて彼女を起こして、平和的に招き入れてもらうほうを選ぶんじゃないか。オルツィはああいう性格だった。訝しく思いはしても、無下に突っぱねるようなことはできなかった」
「でも、オルツィは寝間着姿だったんだろう。男を部屋に入れるかな」
「緊急の話だからと強く迫られたら、断わるに断り切れない子だよ。だけど、その点にこだわるとすれば」
エラリイは横目遣いにポウを見た。
「かぜん怪しくなるのは君だね、ポウ。彼女の幼馴染なんだから、警戒される度合いは当然、僕やヴァンよりも少ないだろう」
「馬鹿な」
ポウががっと身を乗り出した。
「俺がオルツィを殺した?冗談じゃないぞ。
手首の件はどうなんだ。何だって俺が、彼女の手を切り落として持ち去らなきゃならん」
「今のが唯一無二の答えじゃないことくらい分かってるさ。可能性はいくらでもある。ただポウが最もそれらしいというだけの話だ。
さて、手首の問題だね。犯人が去年の青屋敷の事件を意識していることは確かなんだろうけど、何のためにそんな見立てを行ったのかについては、正直なところ僕はわからない。ヴァンはどう思う?」
「さあ、僕達を攪乱するため、とか」
「ふん、ポウは?」
「攪乱だけのために、あんな真似をするとは考えられんな。大きな物音を立てないように手首を切り落とす作業は、それだけでもかなりの苦労だったはずだぞ」
「なるほど。相応の必然性があったはずだってわけか」
エラリイは首をひねり、長い息をついた。
「これはちょっと置いておくとして、とりあえず次に進もうか。カー殺しだ。
この事件についても、結論から言えば、唯一これしかないという解答は割り出せない。あのあと議論した限りでは、僕らの中じゃあ少なくともヴァンには、カーのコーヒーに毒を入れる機会がなかったことになる。あらかじめカップに毒を塗っておくという方法であれば、誰にでもチャンスはあったわけだけれども、問題のカップに、他のカップを識別できるような目印がなければ仕方がない。
ともあれ、アガサが殺されてしまった今、毒の投入があの場で、手品まがいの早業にいって行われたのだすれば、遺憾ながら犯人はこの僕だという話になる。しかし」
「前もって俺が、遅効性のカプセルに毒を入れて与えておいたかもしれない、か」
ポウが口を挟んだ。エラリイがにっと笑って、
「あまり頭のいいやり方とは言えないね。ポウが毒入りカプセルを与えていたとしても、あの場合はカーがたまたま、コーヒーを飲んでいる時に倒れたから良かったようなものおの、もしも何も口にしていないときに毒が聞き始めてみろ、医者の卵である自分が一番に疑われてしまう」
「賢明な判断だな」
「ただし、もう一つの別の方法が、可能性としては存在する。
ポウは医学部の秀才、しかも家はO市で有数の個人病院だ。ポウはカーの健康上の問題をよく把握していたと仮定する。
そこへあの夜、カーが突然その発作を起こした。で、真っ先に駆け寄ったポウは、介抱するふりしながら、どさくさにまぎれてヒ素だかストリキニーネだかを飲ませた」
「よほど俺を疑ってるらしいが、その説はあまりに非現実的だな。話にならん」
「単に可能性をあげつらってるだけだから。けれどの今の非現実的だと言って否定したいのなら、同じ理由で僕の早業説も否定してもらいたいね。
隠し持っていた薬を、自分のカップを取る瞬間に隣のカップへ投げ込むなんて芸当は、口で言うほど易しくないよ。それよりもあらかじめカップに毒を塗っておいて、何か目印を付けておくほうがはるかに容易だし、安全でもある」
「だが実際問題として、あのカップに目印らしきものはなかった」
「そう、だからどうして引っ掛かるんだな。本当のカップには目印がなったんだろうか」
エラリイは手元のカップを傾げてしげしげと見つめた。
「傷はなかった。欠けてもなかった。他と同じモスグリーンの、十角形の・・・いや、待てよ。もしかすると・・・」
エラリイは椅子から腰を浮かせて、
「ポウ。あの時のカーのカップは、確かあのまま取ってあったな」
「ああ、台所のカウンターの隅に」
「二人とも来てくれ」
言うが早いか、エラリイは小走りに厨房へ向かった。
門亜ぢのカップはカウンターの上に、白いタオルをかぶせて置いてあった。エラリイはそっとタオルを取り去った。
「やっぱりそうか」
カップを真上から覗き込むと、エラリイは強く舌打ちをした。
「あの時気づかなかったのが不思議なくらいだ」
「何がどうだって?」
ヴァンが首を傾げた。ポウも解せぬ顔で、
「俺には他と同じに見えるが」
「見えてないのさ」
エラリイはもったいぶった調子で言った。
「十角形の建物に十角形のホール、十角形のテーブル、十角形の天窓、十角形の灰皿、十角形のカップ・・・いたるところで僕らの注意を引きつけた十角形の大群が、僕らの目を見えなくしてしまっていた」
「え?」
「このカップには、やはり目印があったんだよ。明らかに他のカップとは異なる点がね」
ややあって、ポウとヴァンはほぼ同時に「ああ」と声を漏らした。
エラリイはしたり顔で頷いて、
「この建物にちりばめられた十角形という意匠全体が、大きなミスティレクションになっていたわけさ。このカップは十角形じゃない。11個、角がある」
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