今日の十角館の殺人はどうかな?
ずぶぬれになるのも試みず、エラリイは雨の中を駆けた。
途中で一度だけ立ち止まり、後ろを振り返った、ポとヴァンが追いかけてくるのを確かめると、
「急げ!雨で足跡が消えてしまう」
そう叫んで、全力でまた駆け出した。
こうして屋敷の前庭に出た時、ルルウが倒れていたあたりにあった例の足跡は、まだかろうじて元の形を留めていた。
まもなくポウとヴァンが追いついた。乱れに乱れた呼吸を整えながら、エラリイは足跡の方を指さした。
「僕らの運命がかかっているつもりで、とにかくあの様子をよく憶えていておいてくれ」
濡れた服の着替えをすますと、3人はすぐにまたホールに集まった。
「二人とも近くに来てくれないか。重要なことなんだ」
そう言ってエラリイは、部屋を持ちだしてきた一冊のノートを開き、ペンを握った。
「忘れないうちに図を書いておこう」と言ってエラリイは、ノートのページのいっぱいに縦長の長方形を描いた。
「まずこれが、青屋敷の敷地だ」
続いてその内側、上半版に横長の長方形を描き、
「これが建物の跡-瓦礫の山だね。そしてここが、崖から岩場に降りる階段」
大きい長方形の左辺中ほどに、その印をつける。
「右下が十角館のある方向だね。下辺は松並木。で、ルルウは前庭のこのあたりに倒れていた」
と、中央寄りの下の方に、死体を示す人型を描き込んだ。
「さあ、足跡は?」
「まず、屋敷への入り口-例の松のアーチだな、ここから崖の階段へ向かっているのが一筋あった」
せわしく顎髭をいじりながら、ポウが答えた。
「同じ入口からまっすぐにルルウの死体へ向かう足跡と、死体から入口へ戻っていくのとが入り混じって三筋ずつ。それから・・・」
「階段からルルの倒れていた地点に向けて、二筋」
自分で言いながら、エラリイは、次々と、あれらの足跡を表す矢印を図中に描き込んでいった。ポウは頷いて、
「それとももう一筋、死体からまっすぐ階段へ向かうのをあったと思うが」
すべての矢印を描き終えると、エラリイは見やすい位置にノートを置きなおした。
「あの時僕は、松のアーチから屋敷跡へ出てすぐに、ルルウの死体を発見した。ほどなく君達2人もやって来て、まっすぐに死体のそばまで駆けつけた。そしてそのあと、僕とポウで死体を持ち上げ、続いてヴァンが、来た時と同じ経路で十角館へ戻ったんだったね。したがって入り乱れて往復しているこの3組は、僕ら3人の足跡だったわけだ。これは検討の対象から外せるとして、おかしいとは思わないかい」
「おかしい?この足跡がか」
眉を寄せ、ポウが聞き返した。
「ルルウを発見したときに付いた俺たち3人の足跡を消すとだ、残るは入口から階段へ向かうのが一筋、階段から死体へ向かうのが二筋、それと、死体から階段へ戻っていくのが一筋」
「入口から階段へ向かった足跡は、ルルウのものと考えて間違いない。階段から死体まで続く足跡のうちの片方も、当然ながらルルウのだ。とすると、残る二筋、階段と死体の間を往復する一組が犯人の足跡だという話になるけれども、はて、犯人はどこから来てどこへ戻って言ったのか」
「階段・・・」
「そうだ。ところがその階段の下には海しかないんだな。
あの下の岩場は、左右とも切り立った断崖だ。海からこの島に上陸するためには、この岩場からの階段か、入江の桟橋からの石段か、どちらかを利用するしかないわけだが、じゃあ、犯人は、この岩場までどのようにして来たのか。ここからどこへ行ったのか。入江の方へ行くには、あの出っ鼻みたいなぜっぱきを迂回するしかない。水深はかなりある。犯人は泳がなきゃならないわけだよ。この季節に、水温がいったい何度あると思う」
ヴァンはテーブルの上のノートにじっと視線を注いだまま、
「それで?」
「だから問題は、犯人はなぜそういう行動を取ったのかっていうことなんだがね」
「ふむ」とまた低い唸り声を漏らしてから、ポウが口を開いた。
「犯人は、今この十角館にいる俺たち3人のうちの一人。だったら彼は、何もわざわざ岩場に降りて、海の中を通るなどして戻ってくる必要はなかったわけだな。足跡の大きさや形は、地面を踏みにじるようにして歩けばいくらでもごまかせただろう。鑑識の専門家がいるわけじゃないんだしな。そうしなかったってことはつまり、何かのっぴきらなぬ理由があって、海のほうへ戻っていかざるをえなかったのだと考えられるが」
「その通りさ。答えはあまりにも明白だろ」
この記事にコメントする
- HOME -