今日の十角館の殺人はどうかな?
ポウの死体は二人の手で彼の部屋に運び込まれた。
「まさに時限爆弾だな」
床の上で灰になったポウの煙草を踏みにじって、エラリイは怒りに声を震わせた。
「ポウの煙草のストックの中に青酸入りのを1本、混ぜておいたに違いない。部屋に忍び込んで、注射器でも使って注入したんだ」
「中村青司が?」
「もちろんそうさ」
「僕らも危なかったのか」
ランプの炎に目を凝らしながら、エライイは呟いた。
「考えてみればね、ヴァン。そもそも青司はこの十角館の主だったんだ。島の地理や建物の構造を熟知している上に、十中八九、彼はここの全室の合鍵を持っているんだと思う」
「合鍵を?」
「マスターキーかもしれないね。青屋敷に火を放ち、姿をくらます際に持ちだしたのさ。だとすれば、彼は誰の部屋にでも自由に出入りできたわけだ。アガサの口紅に毒を仕込むのも、オルツィを殺すのも簡単だった。ポウの煙草も然りだ。彼は僕らの資格を縫って、影のようにこの建物の中を動きまくっていた。僕らは、十角館という罠に飛び込んだ哀れな獲物だったってことさ」
「彼は昔建築の仕事をしていたって、何かで読んだ覚えがあるけど」
「この十角館も、彼自身が設計したものなのかもしれない。文字通り彼の造った・・・いや、待て。ひょっとすると・・・」
エラリイは鋭い眼差しでホールを見回した。
「今思いついたことなんだけどね、カーの毒殺に使われた例のカップ」
「あの十一角形の?」
「そうだ。結局、あれは目印として利用されたわけじゃなかったことになるが・・・覚えているかい。あのカップについて君が言っていただろう。どうしてこんなものが1個だけあるのか、ってね。
あのとき僕は、青司の悪戯だろうと答えた。しかし何やら暗示的な趣向ではなる、とも、十角形だらけの建物の中に一つだけ置かれてた十一角形」
「十角形の中の十一角形、か。それが何か暗示しているのだとすれば・・・」
呟くうちに、ヴァンはぴくりと眉を動かした。
「もしかしてここには11番目の部屋があるとか」
「そう」とエラリイは真顔で頷いた。
「青司は台所の窓からなんかじゃなくて、その隠し部屋の中から、常に僕達の様子を探ることができた、と?」
エラリイは唇を曲げて薄く笑った。
「あの十一角形のカップこそが、その部屋の扉を開く鍵なんだ」
それは、厨房の床下に設けられた収納庫の中にあった。
「ここだ、ヴァン」と、エラリイが指さした。
懐中電灯の光が照らしだした。収納庫の底板。その中央に、意識して見なければ見過ごしてしまうだろう。直径数センチの浅い穴があいており、穴の少し外側には円形の切れ目がある。
「ヴァン。カップを貸してくれ」
エラリイは例のカップを受け取ると、床に腹ばいになった。右手に収納庫の中に伸ばして、中央の穴にカップを嵌め込んでみる。
「やった、ぴったりだ」
十一角形の鍵穴と鍵が出合った。
「回してみる」
ゆっくりと力を込めた。思惑通り、周囲の切れ目に沿ってじりじりと穴が回転しはじめる。やがて、カチッと確かな手ごたえが伝わった。
まもなく二人の眼下に、地下の隠し部屋へと続く階段が姿を現した。
10段足らずの階段を降りてしまうと、案の定そこはかなりの広さの部屋になっていた。厨房の真下から、中央のホールのほうに向かって広がっている。
床と壁は剥き出しのコンクリート。エラリイの上背よりも少し高い程度の天井からは、ところどころ小さな穴が開いているらしい、細いかすかな光が幾筋も漏れ込んでいた。
エラリイは囁き声で言った。
「ホールの下なんだ。僕らの話すことは全部、ここに筒抜けだったってわけさ」
「やっぱり青司は、ここに潜んで?」
「そうだ。僕らの様子に聞き耳を立てていたに違いないね」
エラリイはゆっくりと周囲の壁を照らしていった。
「あれだ」と言って、エラリイは光を止めた。降りてきた階段から向かって右奥の隅に、古びた木製のドアがあったのだ。
押し殺した声でヴァンが聞いた。
「どこまで続いているんだろう」
エラリイはノブを回した。ドアが開く。とたん、二人はたまらず鼻を押さえた。
「何だ、これは」
「ひどい匂い・・・」
生き物が腐敗していく匂いだ・・・
エラリイは震えの止まらぬ手で懐中電灯を握りなおし、開いたドアの向こうに続く暗闇へと光を投げかけた。
汚れたコンクリートの床を手前に這い戻るうち、まもなくその光が捕らえたものは・・・異臭の源がそこにあったのだ。
それはまぎれもなく、すでに半ば白骨化して人間の死体だった。
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