今日の十角館の殺人はどうかな?
お前たちが殺した千織は、私の娘だった。
守須恭一は低いガラステーブルからその手紙を取り上げると、何度目かの吐息を漏らした。
昨年の1月、ミステリ研究会の新年コンパの三次会。あの時守須は、同級の江南とともに途中で場を辞した。そのあとの、あれは出来事だった。
封筒の裏に記された差出人の名は、中村青司。半年前、角島で殺害されたという男だ。守須にしてみれば、会ったことも顔を見たこともない人物だった。
O市駅前の目抜き通りを抜けた、港に近い一角。巽ハイツという独身向けワンルームマンションの5階の一室である。
守須はテーブルのセブンスターに手を伸ばした。
(角島の連中は今頃何をしているだろう)
壁際に置いたイーゼルに、描きかけの油絵が立ててある。色あせた木々に囲まれて、ひっそりと時を見つめる幾体もの摩崖仏たち。国東半島の、ほとんど人も訪れないような山の中で見つけた風景だった。まだ木炭のデッサンの上に薄く彩色した程度の状態である。
そこへ電話のベルが鳴りだした。もう午前0時が近い。
「やあ守須か」
「ああ、ドイル」
「その名前はよしてくれって言ってるだろう。昼頃には一度電話したんだけどな」
「絵を描きに、バイクで国東まで行ってたんだよ」
「そっか、お前のところにおかしな手紙が来てないか」
「中村青司からのだろう?そのことで30分ばかり前に電話したんだよ」
「やっぱり来てるのか」
「今、どこにいるの。良かったらうちに来ないかい」
「そのつもりで電話したのさ。近くまで来てるんだ。手紙の件で話したいことがあって、知恵を貸してほしいんだ」
「貸すほどの知恵もないけど」
「3人寄れば何とかってね。あ、つまり連れが一人いるんだ。一緒に行ってもいいだろう」
「構わないよ。じゃ、待ってるから」
「なんのつもりだか分からないけど、趣味の悪い悪戯だなと思って」
「『お前たち』って書いてあるよね。だから、僕のところだけじゃないかもしれないとは考えていたんだ」
「そっちのほうはどうも、コピーみたいだな、俺んちに来たやつがオリジナルってわけか」
「多分これとまったく同じものが東の家にも届いている。電話して確かめてみた。それから中村紅次郎氏の許にも文面は少し違うが、同じ中村青司名義の手紙が来ていたんだ」
「中村紅次郎というと中村青司の弟の?」
「ああ、『千織は殺されたのだ』っていう文面だった、今日はね、彼を訪ねて別府まで行ってきたんだ。島田さんとはそこで知り合ったんだよ」
「順を追って話してくれよ」と守須が言ったので、江南は今日一日の出来事を口早に語った。
「相変わらず、好奇心に足が生えたみたいな奴だなあ」
「いったい誰が、何のつもりでこんなものをばらまいたのか、どう思う」
「告発、脅迫、そして角島事件に対する注意の喚起か。うん、なかなかいい線だと思うよ。
あの島田さん、一つお聞きしたいんですが、去年の角島の事件が起きた時、中村紅次郎氏はどうしておられたんでしょう?」
「それはアリバイといういう意味で?」
「はん、いきなり鋭いアプローチをしてくるなあ。青司と和枝夫人を殺して一番利益を得る者は誰か。そりゃあ紅さんに決まっている」
「そうです、失礼かもしれませんが、やはりまず疑われるべきなのは紅次郎氏じゃないかと」
「しかし、守須君、その辺も警察も馬鹿じゃない。紅さんのアリバイももちろん洗われたよ。で。残念ながら彼には完ぺきな不在証明があった。
9月19日の夜から翌朝にかけて、紅さんはずっと、この僕と一緒にいたんだな。珍しく電話が掛かってきてね、飲みにいかないかって。別府で夜中まで飲んで、そのあと僕は紅さんの家に泊ったんだ。朝になって事件の報せを受けた時も一緒にいた」
「完璧ですね、たしかに」
「もっと意見が聞きたいな、守須君」
「そうですね。目新しい考えはこれといってはないんですけど、ただ当時新聞で事件の記事を読んだ時から、ずっと思っていることがあるんです」
「何かな」
「僕にはね、現場からなくなった和枝夫人の左手首、あれが事件の最大のポイントであるような気がするんですよ。もしもその行方が判明すれば、それですべてが見えてくるような」
「ふむ、手首の行方ねえ」
江南が「とろこで守須、研究会の連中が角島に渡ったのは知ってるか」と問うた。
「うん。僕も誘われたんだけどね、やめにした。あんまり悪趣味だと思って」
「連中、いつ帰ってくるんだ」
「今日から1週間っている話だよ」
「1週間もテントでか」
「いや、つてができたんで、例の十角館に泊っているんだ」
「そういやあ紅次郎氏は、あの屋敷を手放したって言ってたな。どうも胡散臭い感じがしてならないな。死者からの手紙が来て、それと入れ違いに死者の島へ向かう」
「嫌な偶然ではあるね。気になるのならまず、あの三次会に参加した他のメンバーの家を全部当たってみることだろうね。東以外のところにもこの手紙が届いているかどうか、確認しておく必要があるだろう」
「それはそうだな、春休みでどうせ暇にしてるしなあ。探偵ごっとに打ち興じてみるのも悪くない」
「江南らしいね。それなら、ついでにどうだろう、角島事件のほうも、もうちょっと突っ込んで調べてみたら」
「調べるって、具体的にどうやって」
「例えば、姿を消した吉川っている庭師の家を訪ねてみるとか」
「しかし・・・」
「いや、コナン君」と島田が口を挟んだ。
「そいつはなかなか面白いぞ。吉川誠一は安心院に住んでいたって言ったろう。そこには彼の細君がまだいるはずで、その細君っていうのは昔、角島の中村家に勤めていたらしいんだ。つまり、中村家の内部事情を知る唯一の生存者ってわけさ。」
「住所はわかるんですか」
「そんなもの、調べりゃわかるさ。コナン君は明日、午前中に手紙の確認をして回る。そのあと、午後から僕の車で安心院へ行く、どうだい」
「OKです。守須は?お前も一緒に来たら」
「行ってみたい気もするけど、あいにく今忙しいんだ。絵を描きに行っているって言っただろう」
「国東の摩崖仏か、そういえばお前、好きだったっけな。何かコンクールにでも出そうと?」
「いや、何となく思い立ってね。花が咲く前のその風景をどうしても描いてみたくなって。だから、このところ毎日あっちへ通い詰めなんだよ。
とりあえず僕は、アームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)を気取らせてもらうよ」
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