今日のうみねこのなく頃に咲 〜猫箱と夢想の交響曲〜はどうかな?
右代宮家の親族会議は、年に1度、10月の最初の土日に行われる。
莫大な資産の一部を息子兄弟に貸し出し、事業的は成功を以て一人前と見なそうという右代宮家では、それは文字通り会議であった。
どれほどの資産を投じて、どのような事業を行い、どれほどの収益を上げたのか。その結果、本家より借りた資産をどれだけ返済できるのか。あるいは、さらなる事業のためにどれだけを借りるのか。どのようなことが教訓となり、どのようなことから失敗が学べるのか。そういうことをかつては大真面目に会議をしていた。
ただ、それも今では昔のこと。皆がそれぞれに事業家として成功を収めた今では、世間一般的は、年に1度の挨拶的な会合になりつつあった。
さて、6年ぶりに顔を見る、朱志香の父親についても紹介しておこう。
戦人の父親の留弗夫の左に座っているのが、留弗夫の兄にあたり、朱志香の父親でもある蔵臼叔父さんだ。
右代宮蔵臼(うしろみや くらうす)
金蔵の第1子で、4兄弟の長男。
他の兄弟たちには、財産を独り占めしようとしていると思われており、兄弟との対立は激化している。
不動産投資で、リゾート開発に莫大な投資をしているが、その成果は酷評されている。
戦人から見て蔵臼は、あまり子供とは話さない人で、いっつも大人たちと話している印象しかない。
留弗夫の陰口によると、随分と陰湿で乱暴な人だったらしい。
留弗夫の言い分が真実なら、昔は長兄として威張り散らしていたそうで、親兄弟みんなの嫌われ者だそうだ。
蔵臼たちと逆側のテーブル末席の霧江の向かいに座っているのは、恰幅のいい老紳士だ。
この人は戦人とは初対面だ。
南條というお医者さんで、金蔵の主治医らしい。
南條輝正(なんじょう てるまさ)
金蔵の主治医であり、長年の友人。
新島の開業医だったが、息子に病院を譲り、穏やかな老後を過ごしている。
猜疑心の凝り固まった金蔵が心を許す数少ない人物のひとり。
非常におおらかな性格で、すぐに激高する金蔵にも動じず、長く交流している。
金蔵がこの島に屋敷を立てた当初からの付き合いだそうで、数十年の交流があり、金蔵のチェス仲間とのこと。
親族と使用人を除いて、ただ一人六軒島に出入りできる存在だ。
ただ、今日という親族会議の日に、主治医とはいえ右代宮家以外の人間が同席していることから、金蔵の容態がだいぶ悪そうだ。
空席のお誕生日席に座るべき人物は、右代宮金蔵。
非常に短気でおっかない人だ。
戦人は最後に会ったのは6年前の小学生の時だったので、叩かれたりした覚えはないが、親兄弟たちはずっと鉄拳で教育されてきたらしい。
金蔵を語る上での重要なエッピソードは、昭和以前にまで遡って右代宮家を語らなければならない。
右代宮家は、明治大正の頃までは隆盛を極めた立派な家柄だった。
紡績工場をいくつも持ち、毎日笑い転げているだけで金が転がり込んでくる富豪っぷりだった。
ちなみに金蔵は、分家筋で、本来なら右代宮本家とは何の関係をない人だった。
ところ大正12年の関東大震災で、当時小田原に屋敷を持っていた右代宮本家は崩壊。
東京下町に持っていた紡績工場は大火事で全焼し、右代宮家は一瞬にして主だった親族と財産を丸ごと失った。
それで右代宮本家の跡継ぎは、分家筋の金蔵しか残っていなかった。
それで、金蔵は、財産のほとんど失った右代宮本家の再興を託されることになった。
そこから金蔵が非凡な才能と強運を発揮し、右代宮本家の残された全財産と金蔵自身を丸ごと担保に入れるような状態で巨額の借金をし、莫大な資本金を築くと、すぐに事業を興した。
信じられないような強運や奇跡、偶然をいくつも積み重ねて次々にチャンスを物にし、いつの間にか進駐軍に強力なコネクションを持つようになっていた。
金蔵は瞬く間に進駐軍の庇護下で大事業を成功させて成り上がっていった。
金蔵は太いコネクションを進駐軍に作っており、昭和25年ごろ朝鮮特需が起こることを最初から見越していて事業を食いこませ、瀕死の右代宮家をわずか20数年で、かつて以上に復興させた。
それで、縁ある小田原に本家を復興すると思ったら、なんと伊豆諸島の小島を丸ごと購入するというとんでもないことをしてしまった。
金蔵は、GHQを通じて、水産資源基地を建設したいと申請し、この島を事業地として取得。その後、それを反故にして自分の土地にしてしまった。
GHQの肝いりで、当時の東京都はほとんどタダ同然でこの土地を提供したそうだ。
金蔵は強運の持ち主だが、英語力を武器にGHQに食い込むことができた。
金蔵は、島のこの屋敷を建て、莫大な資産をうまく運用し、鉄鋼業界の大株主となり、その配当金だけで悠々自適となった。
金蔵には、時代を見通す先見の明があったという評価が付けられていたが、金蔵はそれを否定し、自分は単に並外れた運気に恵まれていただけであると言い続けている。
昔から西洋かぶれだった金蔵は、いつの頃からか黒魔術研究をライフワークにし始め、どんどんおかしくなっていった。
一行は、郷田の作ったランチを味わっている。郷田の腕は大したものだった。
朱志香曰く、老舗ホテルの暖簾分けだか派閥の分裂だかややこしいことがあり、そのトラブルで郷田は辞めざるを得なかったが、その時、偶然、右代宮本家で使用人の求人を出していたとのこと。
応募のあった中で一番腕がよかった郷田を、夏妃が雇ったのだ。
紗音と熊沢が配膳ワゴンを運んできて、郷田がデザートを皆の前に配膳した。
デザートのソースを味見した戦人は、紗音に何のソースかを尋ねたが、紗音は言い淀んでいる。
そこへ熊沢は、「鯖の搾り汁です」と答え、それを真に受けた真里亞以外は大爆笑。
熊沢は、「冗談ですよ。今から郷田さんから説明してくれます」と言い、郷田は説明を始めた。
配膳ワゴンを押して、紗音と熊沢は食堂を後にした。
食堂を出るとすぐに紗音は、助け船を出してくれた熊沢にお礼を言った。
「なぁんもお礼を言われることなんてありません」と熊沢は惚けた。
一行は、食堂の片づけがあるため追い出され、客間でお茶が振舞われた。
楼座が夏妃のために買った紅茶を淹れてくれるとのことだが、子供たちは外で遊んでくるように言われて、客間から追い出されてしまった。
留弗夫が、「去年の時点で余命3ヶ月だったんだ、ってことはすでにマイナス9ヶ月ってことじゃねえか」と口火を切ると、夏妃が「当主様は今でも健在でおられます」と答える。
秀吉も「こういうしょっぱい話は、余裕あるうちにしとくもんなんや」と留弗夫を援護する。
蔵臼が南條に皆に説明するように促す。
南條は、「まず初めに、私が去年申し上げました余命3ヶ月という言葉が独り歩きしているようですので、その訂正からいたします。余命というのはあくまでも見込みであって、いつ亡くなるのか、ということは決して断言できないことなのです。金蔵さんの身体はすっかり病魔に蝕まれております」と説明すると、絵羽が、「見込みで結構なんですけども、お父様、来年の今日まではさすがにどうかしら?」と尋ねる。
皆が非難の声を上げると、絵羽は、「ごめんなさい。お父様の容態が気になって仕方がなかったもので」と笑いながら謝罪する。
それを聞いた南條は、「来年までお元気か、という質問ですが、医者の私としては、とても難しい。この小康状態がまだしばらくは続くように思いますし、何らかの発作が来ればその時にはどうしようもないかもしれません。何しろ六軒島は孤島です。すぐに救急車が飛んでこれるわけではありません。本来ならは、本土の然るべき大病院に入院していただきたいところなのですが・・・」と言うと、蔵臼が、「親父殿は、高尚な研究を中断されたくないと仰せだ。去年、無理に連れ出そうとしたのが仇になり、外に出れば病院に閉じ込められてしまうのではないかとひどくお疑いになられていてな。親父殿は南條先生には心を許しておられる。機嫌が良ければ診察も受けられるようだがね」と続けた。
「容態を見はするが、薬を勧めようとも入院を勧めようとも、聞き入れてくれん。本当に見るだけですがな」と南條が言った。
留弗夫が、「つまり、相変わらず余命は3ヶ月。瀕死のままで後どれだけ永らえるか見当も付かねぇってことだ」と言った。
蔵臼は、「実を言うと、南條先生とは異なる意見でね。とても余命3ヶ月の重病人とは思えないというのが本心だ」と言い出す。
留弗夫は、専門家の意見を採用させてもらう、と言って、「親父の財産を話し合うことは時期尚早ではないってことさ」と続けた。
それを聞いた南條は、「これ以上はお邪魔の様ですので、失礼させていただきましょう」と言って、席を立って客間を出て行った。
蔵臼夫婦以外は、金蔵の余命が短いので、遺産分配について早急かつ具体的な協議に入りたい、と蔵臼夫婦に詰め寄る。
一行は、蔵臼のリゾート計画が失敗を続け、焦って清算した挙句、傷口を広げてしまったことを知っていた。
そして、金蔵の持ち物であるこの六軒島をリゾート化するため、ゲストハウスを自分の名義でリゾートホテル化し、庭園の整備するのに、相当な金を使ったことも知っていた。
そのゲストハウスは、完成して2年も経つのに、年に1度親族会議の時に使うのみで、管理会社とのトラブルが生じたため未だホテルとして開業する目途は立っていない。
そして、一行はその管理会社がトラブルで空中分解していることや、蔵臼がホテルを売ろうとしているが、観光ルートの確立していない離島のホテルには買い手がつかくわけないと踏んでいる。
そしてリゾート化に掛けた先行投資という名の負債の大きさも知っていた。
一行は、蔵臼にそれほどの金額を融資する人物が見当たらないことから、蔵臼は金蔵の個人資産を自分の事業に流用している、と糾弾する。
絵羽が、これは横領で刑事告発できる立派な犯罪で、父親に対する裏切りだ、と言い放つと、夏妃が激高して、屋敷から出ていくよう、に告げる。
それを聞いた絵羽は、「当主様の左肩を許されている右代宮家序列第3位の右代宮絵羽に下がれと!身の程を知りなさい!お前のどこに片翼の翼が許されているのか?貴様など右代宮家の跡継ぎを遺すためだけの存在じゃないの!この下衆女が!」と攻撃すると、夏妃は一言も言い返せず、涙をこぼすのみ。
蔵臼が、夏妃に席を外して頭も冷やしてくるように言うと、夏妃は、自分の肩をもたなかったことを憤慨し、「どうして言い返さないんですか!あなたが言い返さないから私が言い返しているのに、その私に頭を冷やしてこいなんて言うんですか!」と泣きながら客間を飛び出していった。
客間を飛び出した夏妃は、廊下で熊沢に会ったが、「何でもありません。下がりなさい」と言って、自分の寝室に飛び込むとベッドに伏して号泣した。
右代宮家は血を特に重んじるが、嫁いで家を出れば、本来は序列から除籍される。
絵羽も本来は秀吉との結婚の際に除籍されるはずだったが、蔵臼と夏妃との間に子供が授からなかったため、絵羽は、自分が入り婿をとって跡継ぎを産むと吹き込み、自分の席を右代宮栄に留まらせるよう認めさせたのだ。
右代宮家に嫁いたが跡継ぎを遺せず外様扱いの夏妃と、入り婿を取る形で血族に残った絵羽は、右代宮家の序列の中では雲泥の差。
しかも、絵羽の方が先に男児を産んでいる。
熊沢は、そんな夏妃を「おいたわしや」と物陰から見守ることしかできなかった。
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