今日の十角館の殺人はどうかな?
「けりをつけよう。僕は眠い」
けだるそうに瞼を開き、エラリイが口を切った。
「賛成だな」
ワンテンポ遅れたポウの応答に、他の3人も我に返って身構えた。
「俺に分かるのは、とにかく何か、毒物を使用されたらしいということだけだ。毒の種類ははっきりしない」
「ある程度を見当をつけられないのかい」
「そうだな」
ポウや濃い眉の八の字に寄せた。
「効果の速さからして、かなり毒性の強いものだ。呼吸困難と痙攣を起こしていたから、神経毒の可能性が高い。主な毒物の中でその手のやつと言えば、青酸カリ、ストリキニーネ、アトロピン、ニコチンやヒ素、亜ヒ酸でもありうる。ただ、アトロピンやニコチンだと散瞳が見られるはずなんだが、それはなかった。青酸化合物ならが、俗にアーモンド臭と呼ばれる独特な臭気があったはずだ。それもなかった。だから、たぶんストリキニーネ、あるいはヒ素、亜ヒ酸の類だと思う」
テーブルの上には、先ほどの6個のカップが飲みかえのまま、まだ残っていた。ポウの説明を聞きながらじっと見つめていたアガサが、唐突にくすっと笑い声を漏らした。
「この場合、犯人はあたししかしないって話になるわけね」
「そうだね、アガサ」
エラリイが淡々とそれを受けた。
「え、やっぱり君なのかい」
「あたしじゃないって言ったら、それで信じてもらえる?」
「そりゃあ無理だ」
エラリイはシャツの胸ポケットから自分のセーラムを取り出し、その吸い口をとんとんとテーブルで叩いて葉を詰めながら「まず、事実の確認から始めよう」と言った。
「コーヒーを淹れてくれと言い出したのは、カー自身だったね。アガサが台所に立って、その間、他の者は全員ここにいた。湯を沸かし、コーヒーを淹れ、トレイにカップを載せてアガサが戻ってくるまで、だいたい15分くらいだったかな。アガサはテーブルにトレイを置いた。トレイの上にあったものは、正確に言うと、コーヒーカップが6つ、角砂糖の箱、パウダーミルクの瓶、それから1枚の皿にスプーンが7本。うち1本はミルク用というわけだ。そうだったね、アガサ」
アガサは神妙に頷いた。
「カップを取った順番はどうだったか」とエラリイは続けた。
「最初に取ったのは僕だったね。その次は?」
「僕です」とルルウが答えた。
「カー先輩とほとんど同時でした」
「たぶん次が俺だ」とポウ。
「それからあたりが取って、ヴァンにトレイごと回したのよ。そうだったわね、ヴァン」
「うん、確かに」
「OK、確認しておこう。僕、ルルウとカー、ポウ、アガサ、ヴァンの順だね」
エラリイは口の端に煙草をくわえ、火を点けた。
「じゃあ考えてみようか、カーのカップに毒薬を入れるチャンスがあったのは誰か。まずは、やはりアガサだ」
「あたしに毒入りのカップが当たったかもしれないのよ。それに、毒入りをカーが取るように仕向けることだって、できなかったはずでしょ」
アガサは冷ややかな声で反論に出た。
「アガサ、まず言っとかなきゃならないのは、犯人は別にカーだけを標的にしていたわけじゃないだろう、ってことだ。犯人の最終目的が僕達の皆殺しにあるとしてごらんよ、『第二の被害者』が誰であろうと一向に構わないわけさ」
「たまたま貧乏くじを引いたのが、カーだったっていうわけ?」
「そう考えるのが一番論理的だと思うな。カーの両隣は空いていただろう。彼がカップを選んでしまったあとで毒を入れることは、誰にもできなかったはずだ。とすると、やっぱり君しかいないんだよ」
「待ってください、エラリイさん」と口を挟んだのはルルウである。
「あのときアガサ先輩がコーヒーを淹れるのを、僕はずっと見てたんです。台所の扉は開けっ放しだったし、僕の席はちょうどその正面で、角度的にもアガサ先輩の手元がよく見える位置でした。カウンターも蝋燭が置いてありましたから。けれど何一つ、不審な動作はなかったんですよ。
すみません、けど、だって、そうでしょう?今朝オルツィを殺した犯人がこの中にいて、ひょっとしてそれがアガサ先輩かもしれないんですよ。だから、夕食のクラッカーと缶詰とジュース、あれも恐る恐るだったんだ。僕に言わせれば、平気でいの一番に口をつけられるエラリイさんの方がどうかしてますよ」
「なるほどねえ」とエラリイは微苦笑に唇をゆがめた。
「エラリイ、あたしが犯人なんだとしたら、どうやって毒入りのカップを避けたわけ?あたし、自分のコーヒーはちゃんと飲んだわよ」
エラリイは短くなったセーラムを十角形の灰皿でもみ消しながら、ゆっくりと瞬きを繰り返した。
「カップの数はたかだた6個だよ。毒入りカップの位置を覚えておくくらい、造作もないことだろう。万が一、自分に毒入りが当たってしまった時には、口をつけなければそれで済んだ」
「あたしじゃないわ」
長い髪を振り乱して、アガサは幾度もかぶりを振った。
ヴァンがぼそりと口を開いた。
「エラリイ、思うんだけどね、アガサが犯人なら、そんな、真っ先に疑われるようなふりな機会をわざわざ選ぶだろうか」
ポウはエラリイを見据えた。
「このホールのテーブルのランプ一つだけ。しかもあの時、トレイのカップを取る他人の手元に注意を払っていた者などおるまい」
「何を言いたいんだい、ポウ」
「エラリイ、最初にカップを取ったのはお前だったな。そのついでに、隠し持っていた薬を隣のカップに放り込むという早業もできただろう。どうだ、マジシャン」
「ははん、気が付かれたか。それについちゃ、やってないと主張するしかないね」
「鵜呑みにできんさ。しかし、可能性はまだ他にもある。カーはあのコーヒー以前に毒を飲まされていた、とかな」
「遅効性のカプセル、かい」
「そうだ」
「それを言うと、いちばん怪しくなるのはキミだよ、ドクター。そもそもヒ素などストリキニーネだの、そんな毒物を手に入れることからして、考えてみれば素人には難しいしね。医学部の君か、理学部のヴァンか、薬学部のアガサか。僕とルルウは文系だ。劇薬、毒薬の類を置いている研究所とは無縁だよ」
「持ちだそうと思えば、ずいぶんいい加減なものだ。農学部でも工学部でもいい、それらいい部に入り込めば、たいして気に留める奴もいない。それに、親戚がO市で薬局をやっていると言っていたのはエラリイ、お前だろうが」
エラリイは小さく口笛を吹いた。
「物覚えのよろしいことで」
「要するに、薬の入手方法についてここで論じるのは無意味だって話だ。毒の投入については、もう一つの可能性がある。あらかじめカップの一つに毒に塗り付けて置くという方法だ。これなら、誰にでも機会はあったはずだな」
「そのとおり」
微笑みエラリイを、額にうちかかった髪を掻き上げながら、アガサが怨めし気に睨みつけた。
「わかってたの、エラリイ。それなのに、あたしばっかり犯人扱いして」
「他の連中も追い追い、いじめるつもりだったさ。
ところでアガサ、君に聞いておくことがある。コーヒーを淹れる前に、君はカップを洗ったかい」
「島の探索から戻って、お茶を飲んだでしょ。あのあとよ。洗ったカップは台所のカウンターの上に・・・」
「これでいよいよ、毒はあらかじめカップに塗られていたっていう可能性が大きくなってきたわけだ。夕方のうちに台所へ行って、6つのカップのうちに一つに毒を塗り付けるだけで良かった。チャンスは誰にでもあったはずだね」
ルルウが言った。
「けどエラリイさん、それだと、犯人はどうやって毒入りカップを見分けたわけですか。コーヒーに口をつけなかった者はいないんですよ」
「何か目印があるに違いないね。その一つだけ塗りが剥げているとか、欠けているとか」
言いながらエラリイは、カーの使ったモスグリーンのカップに手を伸ばした。
「おや、変だな」
エラリイは不審そうに首を傾け、ルルウにカップを渡した。
「僕には、別に他と違うところはないように見えるが」
「小さな傷くらい付いてないの」と、アガサが聞いた。
「ありませんね、どこにも」
「見せて」
今度はアガサの手にカップが渡る。
「ほんと。何も目印になるようなものはないわ」
「つまり、事前に毒を塗った可能性は否定されるってわけか」
納得いかぬといった顔で、エラリイは横髪を撫でつけた。
「となると、残る方法はさっきの3つだけだってことになるね。アガサが犯人か、僕が犯人か、あるいは毒入りのカプセルを前もって飲ませて某が犯人か」
「いずれにせよ、ここでその方法と犯人を特定するのは無理なようだな」と、ポウが言った。
エラリイは、アガサがテーブルに置いたカーのカップを再び手元に引き寄せ、視線を落とした。
「目印がなくても、外部の者が犯人ならいっこうに構わなかった」
「何だって?エラリイ」
エラリイはカップから目を離し、
「いや・・・ところで、やはり気になるのは動機だな」
「そんな動機なんて・・・」
ルルウが弱々しく首を振る。
「あるはずさ。たとえそれが、どんなにいびつな形をしたものであったとしてもね」とエラリイはきっぱりと言った。
「頭がおかしいのよ。そんな人間の考えなんて、あたしたちにわかるわけないわ」
アガサが甲走った声を上げた。
エラリイは左腕を持ち上げて時計を見た。
「もう夜が明けるね。どうする、みんな」
「眠らんわけにはいくまい」
「そのようだね、ポウ」
エラリイは何も言わずに立ち上がり、自分の部屋に向かう。
「待て、エラリイ」とポウが呼び止めた。
「全員一緒に、同じ場所で寝た方がいいんじゃないか」
「嫌よ、あたしは嫌よ」
アガサが怯えた目で訴えた。
「隣の誰かが犯人だったらどうするの。思っただけで鳥肌が立つわ」
「隣に寝ている人間を殺すような真似はするまい。すぐに捕まっちまうからな」
「しないって言いきれるの?ポウ。犯人が捕まっても、その前に自分が殺されたんじゃたまらないわ」
今にも泣きだしそうな顔で、アガサは椅子を倒して立ち上がった。
「待てよ、アガサ」
「嫌!誰も信用できない」
そしてアガサは、逃げ込むようにして自分の部屋に消えてしまった。
ポウは長い溜息をつき、
「かなり参っているな、彼女」
「当り前さ」
エラリイは両腕を広げ、肩をすくめた。
「正直言って、僕もアガサと同じ心境だね。一人で寝させてもらうよ」
「僕もそうします」とルルウ。
続いてヴァンが立ち上がると、ポウはがさがさと髪をかき回しながら
「戸締りには気を付けるよ、みんな」
「心得ているよ」
答えてエラリイは、玄関へ続く両開きの扉にちらりと目を走らせた。
「僕だって、死ぬのは怖いさ」
この記事にコメントする
- HOME -