今日の十角館の殺人はどうかな?
K大ミステリ研究会の面々が角島に向かって船出したS町から、、バスで半時間、加えて列車で40分ほどの場所にO市がある。直線距離にして40キロ足らずといったところだが、さらに4つばかり先の亀川という駅で下車すると、江南は駅前から山手へ向かう道を速足で歩いた。
千織の祖父宅に電話を掛け、亡くなった彼女の大学の友人だと告げると、恐らく住み込みの家政婦から誰かだろう、気さくな中年女性が質問に答えてくれた。
それとなく千織の父親が角島の中村青司と同一人物であることを確認した後、江南は青司の実弟、中村紅次郎の住所を聞き出すのに成功した。
紅次郎は別府の鉄輪に住んでいるのだという。地元の高校で教鞭を執っており、今は春休みだからたいてい家にいるはずだともいう。
別府は以前、江南の実家があった街で、土地勘があった。
電話で聞いた番地を頼りに歩き回るうち、やがて大した苦労もなく、目当ての家は見つかった。
落ち着いた趣の平屋だった。
江南は格子戸の入った門をくぐり、石畳を玄関まで進んだ。深呼吸を一つして、呼び鈴のボタンを押す。
「どちらさん?」
現れたのは、この日本建築にあまりそぐわないいでたちの男だった。白い開襟シャツに茶色のカーディガン、チャコールグレイのフラノのズボン。無造作に撫で上げた髪には、わずかに白いものが混じっている。
「中村紅次郎さんですか」
「そうですが」
「あの、僕は、亡くなった中村千織さんと大学で同じ研究会にいた江南というものなんですが、突然お尋ねして申し訳ありません」
「私にどんな御用です」
「実は今日、妙な手紙が来ました」
江南は例の手紙を封筒ごと差し出した。
紅次郎は手紙を受け取ると、整然と並んだ宛名書の文字に視線を落とした。
「とにかくまあ、お上がんなさい。友人が一人来ているけれども、気を遣わなくていいから」
江南は奥の座敷に通された。
「島田、お客さんだよ」
庭に面した縁側に藤製の揺り椅子があり、そこに紅次郎の言った友人が座っていた。
「K大の推理小説のクラブの江南君。こっちは私の友人で、島田潔」
島田は勢いよく立ち上がったが、そのはずみで大きく揺れた椅子の脚に自分の足をぶつけてしまい、低くうめいてまた椅子に落ちた。
痩せて背の高い、やたらと細長い男で、江南はとっさにカマキリを連想した。
「あのう、研究会のほうは去年退会したんですが」
「だ、そうだ」
「で、その君が何だって紅さんのところへ」
「これだよ」と紅次郎が言って、江南が持ってきた手紙を島田に渡した。
紅次郎は、「実はね、江南君。同じような手紙が私にも来ているんだよ」と言って、奥の書斎机に歩み寄り、デスクマットの上から1通の封書を取り出し、江南に手渡した。
江南の許に届いたのと同じ封筒、同じ消印、同じワープロの文字だった。そして差出人の名はやはり中村青司。
手紙は『千織は殺されたのだ』と書かれており、江南宛ての手紙とは文面は異なっていた。
「私も驚いているんだよ。まあ、たちの悪い悪戯だろうとは思うが。さっきも島田と話していたんだ。世の中には暇な人間がいるもんだとね。そこへ君がやってきた」
「僕だけじゃなくって、どうやら他の会員のところにも同じものが行ってるみたいなんです」
「ほう」
「まさか、お兄さんが生きてらっしゃるというようなことは?」
「ありえないね。知っての通り、兄は去年の秋に死んだ。私は死体の確認もさせられている。ひどい有様だったがね。悪いけれども江南君、あの事件のことはもうあまり思い出したくないな」
「すみません。手紙の内容についてはどう思われますか」
「千織の不幸については私も聞いているが、あれは事故だったと思っているよ。千織は私にとっても可愛い姪だったからね、殺されたこのだと、そういう気持ちもわかるが、だからと言って君達を恨んでみても仕方ない。むしろ、悪戯で兄の名を騙って、こんな文書をばらまく行為の方が許せないな」
「ところで、うちの研究会の連中が今、角島に行ってるんです。ご存じでしたか」
「いいや。あそこの土地と屋敷は私の死後、私が相続したんだがね、先月S町の業者に売ってしまった。かなり買い叩かれたが、もう二度と行く気も起きまいし、その後のことは知らんよ」
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