今日の十角館の殺人はどうかな?
「ちくしょうめ」
岩に腰掛け、眼前に浮かぶ猫島に視線を据えて、カーは唾を吐き捨てた。
(あいつら、普段は手前勝手なことばかりしてるくせに、俺を責める時だけは団結してかかってきやがる)
だいたい、あのときオルツィの死体と現場を調べたいと考えたのは俺だけじゃないはずだ、とカーは思う。
特にエラリイなんかは、自分で調べたくてうずうずしていたのではないか。
(元はと言えばオルツィだ。俺があいつに振られたって?ふん、退屈しのぎに、ちょっと声をかけてやっただけじゃないか。それをあの女、本気だと自惚れやがって、馬鹿馬鹿しい)
怒りと屈辱に身をよじらせながら、ガーは前方の風景を睨みつけた。
「やはり船などありそうにないわ。木を切って筏を作ろうにも、道具がない。よしんば作れたとしても、いったいそんなもので陸まで辿り着けるかどうか」
何とかして本土に連絡を取るすべはないかと、カーを除いた5人は、二手に分かれて島を探索することに決めた。こちらは、ポウ、ヴァン、アガサの3人。島の南岸から東岸にかけて見て回っているところである。
「火でも焚いて見つけてもらうしかないか」
「そんなことで気がついてくれるかな。それに」
タバコに火を点けながらヴァンは空を仰いだ。
「どうも雲行きが怪しい。今晩あたり、雨になるかもしれないよ」
「まったくなんだって、万一の場合に備えて連絡方法を考えておかなかったんだ」
「今更言っても仕方ないよ。誰もこんな事態、予想しなかったもの」
ヴァンは肩を落とす。
「さっきから漁船の1隻も通らないわ」
悲壮な声でアガサが言った。
「おや、そのうち近づいてくる船があるかもしれん。見張りを立てておいたほうがいいかもな。2人1組、3交代で」
「嫌よ、ポウ」
アガサがヒステリックに叫んだ。
「人殺しかもしれない人間と2人きりになるなんて、冗談じゃないわ」
「全員で来てもいいさ、ヴァン。もしこのあたりを通る船があるとすれば、どうせそれは港に出入りするころ、夕方か夜明けくらいものんだろう」
「そうとは限らないんじゃまいかな」
「ここへ渡ってくる時、漁師の親父さんが言ってた。この辺の漁場はもっとずっと南の方だから、島に近づく船はめったにないらしい」
ポウは背後の林を振り返った。
「松がかりだ。生木はうまく燃えまい。枯れ落ちた松葉でも集めて燃やすか。その程度ではしかし、とうてい陸からは見えんだろうな」
「ねえ、あたしたちどうなるの」
アガサが怯えた目を二人に向けた。普段の自信に満ちた輝きなど、見る影もない。
「大丈夫だ、何とかなる」
ぽんとアガサの肩を叩いて、ポウは髭面にぎこちない微笑みを繕った。
「でも、そう言ってるポウや、もしかしたらヴァンが、オルツィを殺した犯人なのかもしれないのね。カーもルルウも、エラリイも」
アガサは青ざめた頬をわななかせながら
「その中の誰かが、オルツィを殺したのよ。殺して、手首を切り取ったんでしょう」
「そういうアガサだって、容疑者の一人なんだよ」
いつになく険しい表情で、ヴァンが言った。
「あたしは違うわ」
アガサは林のほうへふらりと後ずさり、頭を抱え込んだ。
「オルツィは本当に死んじゃったの。本当に犯人は、あたしたちの中にいるの?」
「僕はね、ルルウ。別の可能性もあると考えている」
「別のって?」
「この島に、誰か第三者が潜んでいるかもしれないっていうことさ」
「え」
エラリイとルルウは、桟橋のある入江と青屋敷跡の横手の岩場を見に行ったあと、林の中を抜ける小道を進んでいた。目指すは猫島が見える島の北岸である。
「外部犯の可能性だよ。それもと何かい。お前は僕らの中に殺人犯がいると、そう考えたいのかな」
「でも、島に潜んでるって、いったい誰が」
「僕が思うには、中村青司さ」
「けどエラリイさん、中村青司は去年殺されて・・・」
「半年前の事件で見つかった青司の死体、あれは顔のない死体そのものじゃなきか。しかも行方をくらました庭師がしるときてる」
「実は青司が犯人で、青司だと思われていた死体が庭師のものだったと?」
「そう、単純な入れ替わりトリックさ」
「だから青司は生きていて、今この島に来てるって言うんですか」
「ひょっとしたら、この島に住んでいるのかもしれない」
「住んでいる?」
「一昨日の漁師の親父さんの話、覚えているだろう。十角館に明かりが灯るって話さ。」
「あの手の幽霊話を真に受けてたら、きりがありませんよ。だいたい、あの事件で警察や報道陣が島に来ていた間、それに今現在だって、青司はどこに隠れているって言うんです」
「だからさ、こうして島を見て回っている。もちろん本土への連絡手段を探すことが先決だが、どこかにせめて人の隠れていた痕跡でも見つからないかと思ってるんだ」
「ですけど、やっぱりそんなこと。青司が犯人だなんて、考えられませんよ」
「そうかな。オルルィの部屋、窓に掛け金が下りてなかったって言っただろう。たとえば、オルツィが鍵を掛け忘れた窓から外部の者が侵入した、と考えるのは容易だろうか」
「ドアの鍵はどうして外れていたんです」
「犯行後、犯人が中から外したのだ。ホールに出て、例のプレートをドアに貼り付けるために」
「それは変ですよ。外部の誰かが犯人なら、エラリイさんが台所の引き出しにしまっておいたのあのプレードのありかを、どうやって知ったわけですか」
「プレートを用意することは外部の者にもできるだろう。十角館の玄関の鍵が壊れているから、ホールへの出入りは自由だ。あるいは、僕らの中に手引きをした者がいるとも考えられる」
「そんな、まさか」
「あくまでも可能性を議論してるだけさ。ルルウ、お前は無類のミステリ好きのくせいて、ちょっと想像力が乏しすぎるね」
「現実とミステリは別物ですよ。エラリイさん、なあ、例えばその中村青司に、いったい僕らを殺すなどどんな動機があるっていうんですか」
「さてね」
小道を抜けて崖の上に出ると、そこにはカーがいた。二人の姿を見るなり、彼はぷいっとそっぽを向いて立ち上がった。
「あおい、あまり単独行動はとらない方がいいぞ」
エラリイが、何も言わずに立ち去ろうとするカーをたしなめる。しかし、カーは振り返りもせず、乱暴な足取りで林の中へ消えてしまった。
「困った男だな」
エラリイは軽く舌を打った。
「どうもあいつ、僕のことを目の仇にでもしてるみたいだな」
「何となくわかるなあ。エラリイさんって、いつも、こんな時でもそんなに冷静で、なんだか一歩離れたところから人間を眺めているって雰囲気、あるでしょう」
「そう見えるかい」
「見えますよ。ですからね、お世辞はなくって僕なんかは、ある種の尊敬の念みたいなものを抱いてしまう。だけどカー先輩は逆なんだな。嫉妬しちゃうんですよ、きっと」
「ふうん、そんなものかね」
エラリイは我関せずといった顔で、海に向かって足を踏み出した。
「灌木ばかりだな。ここからは見通しが良くないね」
正面に見える猫島のことである。
「人が2、3人隠れるくらいなら、まあ不可能じゃさなそうですね。でも、この断崖ですよ」
「この程度の距離なら、小さなゴムボードでもあれば十分だろう。あっちの岩場から出て・・・ああ、ほらルルウ、島のあそこの斜面、登れそうじゃないか」
「ええ、そうですね」
ルルウは混乱する頭の中の件名に思いを巡らせた。
なるほど、エラリイの指摘した外部犯の可能性は、一概には否定できない。
何かしら引っ掛かるものが、記憶のどこかにある。何か、思い出さなければならない何かが。
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