
今日の屍人荘の殺人はどうかな?
玄関は閉じたもののペンションの守りは頼りない。1階の正面壁はガラスのカーテンウォールでいかにも脆弱だし、屋内へ侵入されるのは時間の問題と言える。
「2階へ上がれ!それから階段をすべて塞ぐんだ」
東側の階段から全員が2階へ避難したところで、階下から早くもガラスの砕ける音が響いた。
葉村たちは大急ぎで2階ラウンジにあった棚やソファとなるべく大きな家具を手分けして運び、1、2階の中間にある踊り場と2階の踊り場に二段構えのバリケードを築き始めた。
物音を聞きつけた進藤が3階から降りて来た。
「麗花がどこにはいないんだ。どこに行っちゃったんだよ、麗花」
うわ言のように呟き、進藤は中間の踊り場に積み上げたばかりの家具をどかそうとするので、立浪が慌てて腕を掴んだ。
「現実を見ろ。どうせもう死んじまってる」
「違う!きっとまだ生きている!探しに行くんだ!行かせてくれ!」
「この野郎!」
立浪に殴り飛ばされた進藤は、這いつくばって嗚咽を漏らし始めた。
バリケード造りを先導したのは、意外にも重元だった。
「階段を塞ぐだけじゃなく、階段そのものを上がりにくくするんだ、坂道みたいに。それだけであいつらは足を滑らせるはず」
その言葉に従い管野はマスターキーで空き部屋で208号室に入り、ベッドの生皮の引きはがしてスノコ状の大きな板を2枚手に入れ、階段に滑らせた。さらにリンベン室からありったけのシールを持って来てばらまく。
バリケードが完成すると、七宮が指揮した。
「確かに反対側にも非常階段があったろう。そっちは塞がなくてもいいのか」
「非常階段から館内に入るドアは鉄製で、防犯上内側からしか開けられないいんです。外開きですし、体当たりだけでは打ち破りにくいはずです」と管野。
「しまった!エレベーターがある」と比留子が言い出した。
慌ててラウンジに戻ると、エレベーターのカゴはまだ1階にあった。
「もうすでに何人か乗り込んでいいるかもしれない」
「2、3人乗っていてもぶち殺してやればいい」
先ほど一人屠った立浪が槍を構えてドアを睨みつける。葉村たちも壁にかかっている武器を手に取り、それに倣った。管野がボタンを押し、ドアのランプが1から2へ移動し、ドアが開く。
中は無人だった。
「管野さん、エレベーター用の電源を落とせませんか」と比留子が言った。
「電源盤は1階のフロントにあるんです。今頃は化け物たちに埋め尽くされているでしょう」
「それじゃあ、あいつらが何かの拍子にボタンを押したら、エレベーターが下に持っていかれちゃうってこと?」と高木が言った。
「じゃあ、暫定の措置としてこしておきましょう」
比留子がそう言って、手近にあった椅子をドアに挟んだ。
「これで勝手に動くことはないはず」
なるほど、人身事故を防ぐため、ドアが閉まり切らない状態では作動しないはずだ。
階段口でバリケードを見張っている名張の声が響く。
「ソンビが上がって来るわ」
一行は武器を握りなおして階段に向かう。
バリケードの隙間から下を覗くと、ペンションに押し寄せるゾンビの数は増え続けているらしく、階下から潮が見るようにゆっくりと無数の頭が狭い階段を埋め尽くしてゆく。だがソンビどもは運動能力が低いのか、階段を上がる速度は平地でも歩行よりも遅く、足取りもおぼつかない。なんとか途中まで上がってきた者もバリケードに阻まれたり、シーツに足を取られたりしてバランスを崩し、後続を巻き込みながら階段を転げ落ちていく。
「だがいつ突破されるか、ずっとこうして見張っているのか」と、七宮が言った。
「それならいいものがある」と、高木言い、高木と静原がポケットから防犯ブザーを取り出した。ピンを抜くと大きな警報音が鳴り響くタイプだ。
「これで仕掛けを作っておけば、バリケードを突破された時にすぐ気づける」
高木の提案に従い、管野が倉庫から釣り糸を持って来てバリケードの後方に仕掛けを作った。バリケードが突破されれば釣り糸が引っ張られてピンが抜け、警報ブザーが鳴る。
「もう一つはどうしますか」
そう言った静原の手から、七宮がブザーをひったくった。
「こいつは3階に非常扉に仕掛けておく。3階が落とされれば一巻の終わりだからな」
そう言う七宮の部屋こそが3階非常扉の一番近くにあった。
その後、メンバーは2階ラウンジに集まった。
すでに午後10時半になっていた。肝試し開始から、たったの1時間半で世界が一変してしまった。
現在ここにいるのは葉村、比留子、進藤、高木、静原、名張、重元、七宮、立浪、管野の総勢10名で、4人ものメンバーがいなくなってしまった。
携帯は依然として通じないままで、身の回りで何が起きているかさっぱりわからないのだ。
「出目は?」立浪の問いに七宮は首を振った。
「俺が神社に着いた時には喰われていた。下松もそいつらにやられた」
テレビのスイッチを入れると、画面にはニュース番組が流れており、緑豊かな景色の映像と『テロに可能性』という不穏な文字が大きく映し出されている。管野がボリュームを上げた。
『今日午後4時頃、S県の娑可安公園で行われている野外ライブ、サベアロックフェスで複数の観客が体調の異常を訴えたと警察や消防に通報がありました。同様の人はそれ以降も大変な勢いで増えており、化学兵器によるテロの疑いもあるとして警察は一体を封鎖、現在も救助活動と原因の究明が続いてます』
「携帯は通じません、固定電話は?」と、比留子が管野に訊ねた。
管野はラウンジの電話機を持ち上げ何度か操作したが、やがて首を振って受話器を置いた。
「駄目です」
「すでにかなり高度な情報管制がしかれているのかしれませんね」と、比留子が呟いた。
「じゃあ、このゾンビたちは?」
「体調を崩した観客だろうね。服装もフェスっぽいし、彼らが流れて来た方向には会場がある。化学兵器か生物兵器かバイオハザードだか知らないけど、とにかくそこで起きた何かによって観客がああなったことは間違いないと思う」
「それ、まずいよ。サベアロックフェスは1日に約5万人が参加するんだ。ソンビに噛まれた人間もいずれゾンビ化する」と、重元がうろたえた声を出した。
「政府はもうこの状態を把握しているということですよね。きっと救助も来ますね」と静原が言ったが、比留子はそれを否定した。
「私たちが彼らに襲われた以上、政府は被害をコントロールできていないと見るべきです。余計なパニックを防ぐために現場の状況を報道できないし、通信も遮断させているのだと思います。この状況でまず彼らが優先するのはなによりも被害の拡大を防ぐことでしょう。ひとまず感染という言葉を使いますが、感染者を娑可安周辺から一人も外に出さないことが優先事項、取り残された人々はその次。部屋に手を出せば二次被害の危険がありますから。
ともかくここで籠城を続ける覚悟はしておかなきゃならない」
「どれだけ待てば助けが来るの?」と名張が叫んだが、それに答えられる者はいない。
「あまり悲観的になるのはやめましょう。ソンビが動く死体だというなら、死後数日で自家融解と腐敗が進行して活動できなくなるはずです。まして真夏ですから腐敗も早い。1週間もかかることはないでしょう」と、比留子が皆に呼び掛けた。
続いて重元が呟く。
「籠城の際に重要なのは、食料、水、電気、武器」
「さっきコーヒーを入れた時、水はまだ出ました」と、管野が証言した。
今のところ電気も通っている。問題は食料だ。
「1階の厨房には数日分の食料があるのですが・・・」と、管野が無念そうに呟く。
メンバーはそれぞれの荷物をから食料をかき集めた。管野が3階の倉庫から備蓄用の非常食を持ってきた。
管野から非常用に置いておいていたというマスクが配られた。感染の可能性がある以上、用心しておくに越したことはない。
あとは武器だ。剣を手に取ったのは、葉村、進藤、静原くらいで、他の面々は槍を選んだ。
「誰か武術の経験者はいないの?」と、名張が言った。
「子供の頃、家の方針で薙刀道と合気道を習ってましたね」と、比留子が手を挙げた。
もう一つの大きな問題となったのは、これからどこで夜を過ごすべきかということだった。メンバーに残された居場所は、2階と3階、さらに3階倉庫内にある階段から屋上に行けるらしい。最も広く皆が過ごしやすいのがこのラウンジだ。けれど階段のバリケードが破られれば真っ先にソンビどもに蹂躙されるも同じくラウンジだ。
「絶対に避けなきゃいけなにのは全滅だ。全員が一か所に固まってちゃ、奴らがなだれ込んできた時に誰も逃げられない。けど二つの階に分散していれば、少なくとも半分は逃げられる」と、重元が言った。
「ちょっと待ってください。先に襲われるのは2階だと限りませんよ」と、管野が言った。
彼の言い分はこうだ。バリケードを破ったゾンビは2階を素通りして、まず3階へ向かう可能性がある。加えて南エリアの端の設けられた非常階段は建物の外から2階と3階それぞれの非常扉に通じているため、2階を素通りして3階の非常扉が先に突破される可能性だったあるのだ。
「東エリアのラウンジの前の扉を閉めてしまえばいいんです。
御覧の通り、中央と接する東と南のエリアは扉で仕切ることができるんです。ただし鍵がないと開け閉めできませんから、施錠してしまうと咄嗟のことには対処できませんが。つまり夜間だけでもラウンジと東エリアの間の扉にあらかじめ鍵をかけておけば、仮にバリケードを突破されてもすぐには2階全体に被害は及ばないはずです」と、管野が言った。
部屋割りを見ると、2階の東エリアの部屋を使っているのは、206号室の名張と、207号室の出目だった。名張さえ他の部屋へ移ってもらえばこの扉を閉めることができる。
しばらく黙りこんでいた比留子が言った。
「管野さん。上と下を行き来する方法は階段とエレベーターだけですか」
「いいえ、もう一つだけ」と、管野はそう言って、倉庫から避難用のアルミ製縄梯子を持ってきた。
「梯子を3階のベランダから垂らせば、2階の部屋と行き来できます。あいにく一つだけですが」
「では、こうしますか。我々は基本的に今まで通り各自の部屋で夜を過ごす。非常扉が破られてたり、警報ブザーの音に気づいたらすぐさま部屋の内線で知らせ合い、室内で待機。ドアは外開きですから、体当たりされてもすぐには壊れないはずです。安全な場所にいる人はエリア間の扉を閉めるなどしてゾンビの侵攻を遅らせ、縄梯子を使って部屋に閉じ込められた人を救出する」
メンバーはこれに納得した。縄梯子は誰でも使えるように3階のエレベーター前に置いておくことになった。
「では、エリア間の扉の鍵ですが、テレビ台の上に置いておきます。状況に応じて使ってください。あと名張さんは部屋を変わってもらわなければいけませんが、他の部屋のカードキーは持ち出す暇がなかったので、管理人用のマスターキーを使ってください」と、管野が言った。
結果、名張は空き部屋だった205号室の部屋を使うことになり、2階東のエリアの扉は閉鎖された。
「管野さんはどの部屋に?」と葉村が尋ねた。
「申し訳ないのですが、星川さんの部屋を使わせてもらおうと思います。僕も2階を見張っておきたいですし」
進藤は大人しく頷いた。
「わかりました。麗花の荷物だけは預からせてもらえますか」
マスターキーで星川の203号室を開けた進藤が、星川の荷物を自分の部屋に運び込むのを見ていた比留子が言った。
「管野さん、その部屋の戸締りや電気はどうするんですか?マスターキーを名張さんに預けちゃったら、使えるキーはないでしょう」
203号室のカードキーは星川が持ち出したままいなくなってしまっている。
「部屋の外にいる時は、ドアガードを挟んでおくので、そう不便にはなりませんよ。電機は名張さんが使っていた206号室のカードキーを挿しておけば使えるので」
立浪が口を開いた。
「それより、見張りとかはどうする」
「皆さんは夜の間、とにかく安易に部屋の外に出ないようにしてください。バリケードや非常扉は僕が1時間おきに点検します」と、管野が申し出た。
時刻はすでに午後11時を過ぎている。
うとうとしかけている葉村に、「そろそろ部屋に戻った方がいいよ」と、比留子が声を掛けて来た。
それにつられるよう他のメンバーも続々と部屋に向かったが、エレベーターに全員は乗り切れないので、葉村は東側の階段を使うことにした。
「比留子さん、俺、こっちから戻るんで、扉を鍵を掛けてもらっていいですか」
「送って行くよ。鍵は帰りに閉めておくから」
階段を上がるとすぐに308号室のドアが見えた。もしバリケードを突破さしたゾンビどもが3階まで上がった来たら、真っ先に包囲されるのは葉村の部屋だ。
「もし夜中に物音がしても簡単にドアを開けちゃいけないよ。相手の声を確かめてからね。
それからあの話は本気だよ。君に私の助手になってほしい。明智さんのことは残念だけど」
「やめてください。こんな時にする話じゃないでしょ」
「確かにそうだね。ごめん、どうかしていたよ。忘れてちょうだい、おやすみ」
比留子はそう言って、ドアを閉めた。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
「うわあああー!」
悲鳴が遠くから聞こえ、静かになった。
目をこらすと、山の方からいくつかの人影が下ってくるのが見えた。
人影が3つある。地元の人だろうか。
「なんだが具合が悪そうに見えない?」
比留子の言う通り、3つの人影は酔っぱらったように左右に体を揺すっている。
続けて信じられない光景が目に飛び込んできた。
山道とは別方向、右手の湖へと大きくせり出した陸の先端へとカーブを描く県道を、こちらに向かってゆらゆらと近づいてくる10以上の人影が浮かび上がっていたのだ。
道路灯に顔が照らし出される。焦点を失った目、だらしなく開けたまま意味のないうめき声を漏らす口、赤黒い血と顔と衣服べったりと塗り付けている。中には服が裂け、裸身を晒している者もいる。
その瞬間、本能が勝った。「走って!」葉村は比留子の手を引っ張り返し、今来た道を引き返す。
引き返す先で人影を見つけた。シルエットから、重元・高木組だと気づく。
「こっちに来ちゃだめだ。戻れ!」
「なんだよ」
「戻れ、ヘンな奴が来る」
「来た!」
比留子が叫ぶ。
葉村はとっさに転がっていた石を掴み、人だかりに向かって思いっきり投げた。石は集団の一人に確かに当たった。それなのに悲鳴一つ、文句一つ上げることなく近づいてくる。
「マジかよ」
「逃げよう!」
葉村たちは必死に紫湛荘への道を駆け戻った。最後まで広場で残っていた立浪と名張は出発したばかりの葉村たちが必死の形相で戻ってきたので目を丸くしている。
「どうした?」
葉村たちは口々にあのおぞましい人影について喚きたてたが、立浪たちは困惑するばかりだ。
「とにかく外にいちゃいけない。ペンションに戻って戸締りを」
「いや、逃げた方がいい」
「奴らもここまで来るかもしれない。武器がいる」
「とにかく管野さんに行って武器になりそうなものを探して」
葉村たちは広場の階段を上がった。
「いったいなんだってんだ」
名張が管野を呼びに走り、立浪だけが腑に落ちない顔でそう呟いた時だった。不意に紫湛荘の裏手の藪をかき分けて誰かが現れた。肩で荒い息をつく七宮だった。
「神社から藪の中を突っ切ってきたんだろう。道もないのに無茶するもんだ」
と立浪が解説した。
「帰る途中で訳のわかんねえ奴に襲われて」
そこで葉村は七宮のパートナーがいないことに気づく。
「下松さんは?」
「あいつは捕まった。今頃はもう」
それに激高したのは高木だ。
「見捨てて来たのか!」
「どうにもならねえ!あいつら人を喰うんだぞ!下松を捕まえるなり一斉に襲い掛かったんだ」
「ゾンビだ」と重元が呟いた。
その時、名張とともに管野が玄関から出てきた。手には1本の槍、おそらく2階のラウンジに展示されていたものだ。
「来た!」
ぞろぞろと下の広場に侵入してきた集団に懐中電灯を向ける。その醜悪な姿を見て、名張の口から絹を裂くような悲鳴が上がった。
重元の言う通り、映画やゲームで目にするゾンビそのものだった。
だが今来たばかりの管野は愚かにも「早く病院へ」と叫びながら階段を下り、先頭の一人に歩み寄る。その瞬間、若者の姿をしたソレは倒れこむように管野に襲い掛かった。
管野の命を救ったのは彼を止めようと後を追った立浪だった。長い脚を活かして咄嗟に放った前蹴りがソレの胸元にヒットして転倒させる。
「逃げるぞ!」
二人は命からがら階段を上がる。
「殺さなきゃ駄目!」重元が叫ぶ。「ゾンビに噛まれたらもう助からない!そいつは人間じゃない、でなきゃ全員やられるぞ!」
おぞましいゾンビの群れは広場からの階段を上がってこようとする。だが段差を上がる動作すら満足にできないのか、途中で足を滑らせてりバランスを崩して転げ落ちたりしながら、実にゆっくりしたスピードで進んでいる。
管野の手から立浪が槍を奪い取り、階段から顔を出した一人に向けて突き出す。攻撃は胸板をあっさり貫通したが、血は噴き出さず、槍を突き刺されたゾンビはまだ動いている。
重元が再び叫んだ。
「心臓を潰しても無駄です。脳を破壊しなきゃ」
「そんなもんどうやるんだよぉ」
「目から脳まで突き刺すんです!」比留子が叫んだ。
その声に従い立浪が狙いを定めて何度も眼窩に槍を突き刺すと、ようやくそいつは動きを止め、後ろに続いていたソンビを巻き込みながら階段を転げ落ちていった。
槍先についた肉片を見た立浪は嘔吐した。だが彼らは次から次へと上がってくる。比留子が声を上げた。
「キリがない。紫湛荘に立てこもりましょう」
「それよりも裏から逃げるべきじゃないのか」
立浪の提案を聞いて、七宮が血相を変える。
「駄目だ!俺は山の中でも追いかけられた」
「うわあああ!」
その時、紫湛荘の裏手から進藤が悲鳴を上げながら姿を現した。おそらく彼も七宮と同じく、藪を突っ切って逃げてきたのだろう。だが隣にパートナーだったはずの星川の姿がない。
進藤は皆を見回すと悲痛な声で尋ねた。
「麗花はどこだ。先に戻ってきているはずだ!」
「星川とはぐれたのか」立浪が口元のぬぐう。
「僕が化け物の気を引いている間に逃がしたんだ。まだ着いていないのか」
全員が見ていないと首を振る。
進藤は「嘘だ!」と叫ぶなり半狂乱の勢いで紫湛荘に駆け込んでいった。
「麗花、いるんだろう、麗花!」
「俺たちも中に入ろう。ペンションに籠城するしかない」立浪が指示を出す。
「けど、美冬たちがまだ」と高木が訴える。
「どこか安全な場所に避難しているかもしれないだろう。このままじゃ俺たちが危ない」
高木も悔しそうに顔を歪めていたが、一人で仲間を助けに行くなどとは言い出さなかった。全員が建物の中に入り、管野の指示でガラス扉の外のシャッターを閉めようとした。
その時現れたのは、見覚えのあるアロハシャツの男性。
「明智さん!」「美冬!」
明智は背後に庇っていた静原を引き上げると、先にこちらに向かって押し出し、自らは下から迫りくる追っ手を蹴飛ばした。恐怖と息切れで真っ青になった静原が玄関に転がり込んでくる。
「明智さんも早く!」と葉村が叫んだ。
その声が聞こえたのか、明智はこちらを振り向き、駆け出そうとしてが、下から伸びて来た手が、明智の足首を掴み、痩せた女のゾンビが明智のふくらはぎに喰いついた。
明智はよろめき、後ろに倒れた、その瞬間、葉村と目が合い、明智の口が動いた。
「うまくいかないもんなんだな」
それを最後に明智はわずか数メートル先の地獄へとつながる階段を転がり降り、一行の前から消えた。
「シャッターを閉めましょう。あいつらが上がってくる」と葉村は言った。
こうして、葉村は呆気なく俺のホームズを失った。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
肝試しの準備ができたとお呼びがかかり、葉村たちは再び広場に集まった。出目の姿はない。おそらく脅かし役としてどこかに潜んでいるのだろう。立浪が紙袋を差し出した。
「それじゃクジでペアを決めよう。女の子が引いてくれ」
葉村の相手は比留子で、スタートは4番目ということになった。
ちなみに他のペアは、七宮・下松組、進藤・星川組、明智・静原組、重元・高木組、立浪・名張組だ。
目的となる神社は湖沿いを東に進み、途中で合流する山からの道を登った先にあるという。そのお堂にあるお札を取ってくればクリア。
午後9時、まずは1組目の七宮・下松組が出発する。
5分ほどの間隔をおいて、2組目、3組目がスタートする。
葉村たちの順番が回ってきた。
肝試しはペアで手を握るというルールが設けられた。
葉村は比留子の手を握り、しばらく湖沿いの道路を進む。
「ねえ、葉村君。実は君に話しておきたいことがあるんだ」
「なんのことですか」
「君をこの合宿に誘った目的について。私は君を口説きたくてこの合宿に誘ったんだよ」
「は?」
「私はこれまで何度か難解な事件に関わってきた。そしてこれからもいくつもの事件に携わることになると思う。そこで、単刀直入に言おう。私の助手になってよ。私にも君が必要だ」
「いやいやいや、俺はただの読書好きですよ。専門的な知識もないし、天才的に閃くこともない」
「そんなのワトソンだってそうじゃないか。ごく一般的な意見を横から挟むに過ぎない。けれどそれで事件が解決するなら万々歳だ。すぐに返事をくれとは言わないよ。合宿が終わるまでに考えといてほしい」
「なんで俺なんです?」
「それは内緒」
「明智さんには話してもいいんですか?」
「少し待ってて。ある意味彼とのコンビを解消させるようなものだ。君はきっと彼にも必要不可欠な存在だろうし、そのうち私から明智さんに話をさせてもらうよ」
左手にあった雑木林が開けて、山側から下りてくる細道が見えてきた。その時だった。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
洗った鉄板と鉄網を高木と手分けして持ち、紫湛荘の玄関前を通り過ぎると、奥のエレベーターに出目が乗り込むのが見えた。
広場に戻ると片付けを終えて駐車場に側に集まった皆の間に白々とした空気が漂っているのに気付いた。
見回すと出目の姿が見たらず、星川が名張の側に寄り添い、慰めるように何事か言葉をかけているにが気になった。
「何があったんですか?」と明智に問うと
「よくわからんが、名張嬢が出目式の熱烈なお誘いをお撥ねつけになったらしい」
そう言って肩をすくめた。
横で高木が舌打ちした。
微妙な空気のフォローに回ったのは立浪だった。
「皆、すまなかったな。あいつは昔から酒を飲むと気が大きくなって、女と手の癖が悪くなるんだ。後で頭を冷やすように言っておこう。あいつはペナルティってことで、この後の肝試しの脅かし役に回ってもらうことにするか。いいよな、七宮」
「ああ、自業自得だ」
どうやら3人に力関係は対等というわけではなく、七宮と立浪が実権を握り、出目は道化役のようだ。出目が他の者に対して高圧的なのはその不満のせいなのかもしれない。
「肝試しってどこに行くんですか?」
「15分ほど歩いたところに古い神社があるのさ。そこから二人一組で札を取って来てもらう」
七宮たちは準備してくるからいったん部屋に戻るように言い残し、広場を後にした。
その時、空を眺めていた明智が呟いた。
「あれは何だろう」
見ると、東側の山の輪郭がうっすら光っている。
「サベアロックフェス。山の向こう側の自然公園で野外ライブをしてるんです。きっとそのステージの明かりでしょう」
重元が手元のスマートフォンを覗きながら
「あれ・・・ネットが繋がらない。ロックフェスを調べようとしてるんだけど」
「ここ、電波が入らないんじゃない」と下松。
「バーベキューの前までは通じてました」
すると他のメンバーも自分の携帯を取り出し、口々に戸惑いの声を上げた。
「ホントだ。全然通じない」
それぞれが持っている携帯は機種も契約会社も違う。ただの接続障害だとは考えられない。
「もし何かの障害だとしても紫湛荘には電話があるし、車を使えば町まで出られるんだ。大したことじゃないさ」
進藤の言うとおりだ。明智は冴えない表情で
「外部との連絡の遮断、か。これもまた現代版のクローズドサークルというえるのかもしれんな」と言った。
その言葉に不安を煽られた葉村は、いつもの癖で時間を確認しようと左手を持ち上げた。そこで、むき出しの手首を見て、時計をバーベキューの時に外したことを思い出した。
皆の輪から離れ、時計を置いていた駐車場の電灯の下へ向かったが、そこには時計を包んでおいたハンカチだけがはだけた状態で残されていて、時計そのものはどこにも見当たらなかった。
「どうしたの?」
葉村の様子を気にしてた比留子が声を飛ばしてきた。
「ここに置いてあった時計が見当たらなくて」
それを聞いた名張が声を上げた。
「私がさっき見た時、時計は確かにあったわ。そんなところにハンカチが置いてあったから気になって、中をめくって確かめたの」
皆の元に戻り、詳細を訊ねる。
「いつ頃のことですか?」
「バーベキューの終わりごろかしら。出目っていう人が絡んでくる直前よ」
事件の匂いを嗅ぎ取ったのか明智が名張に質問を重ねた。
「途中、時計に近づいた人はいましたか」
「いなかったのわ。どうにかしてあの人と打ち切られないきっかけを捜していたから、誰かが近づいてきたら絶対に気づいたはずだよ。
そうしているうちに片づけが始まったの。チャンスだと思って離れようとしたら彼が親しげに肩を回してきたから、声を上げて振り払ったの。そして私の近くにいた星川さんが駆け寄って、そのまま」
「名張さんが声を上げてからは、出目さんだけが時が置いてある壁際に立っていた。それ以前にこの壁際、また駐車場に近づいた人はいますか。もしくは誰かを目撃したという話でも構いません」
すると数人が手を挙げ、バーベキューの準備の際に駐車場の倉庫にしまわれいた器具を運び出すために近づいたと話した。すると静原が恐る恐るといった感じで手を挙げた。
「あの、名張さんと出目さんが来られてから、私はずっとその様子を見ていたんです。だから、お二人が来られてからは誰もその場に近づいていないと断言できます」
名張も同意し、それ以外の証言をする人もいなかった。以上を踏まえて明智は言う。
「ということは、我々の目が名張さんに向いている際に出目さんが時計を拾い、そのまま持ち帰ったと考えるのが自然だ」
去年が硬い声を出した。
「去年も同じようなことがあった。確か江端さんが酔いつぶれている隙に財布から万札が抜かれていたんじゃなかったっけ。なあ進藤」
彼女が言う江端さんとおそらく映研の先輩だろう。
「そうだったかな」
「そうだとも。思い出した!あの時江端さんを酔い潰したのも確か出目さんだったはずだ。けど結局彼は知らないの一点張りだった。
葉村、取り返しに行こう。あたしも一緒に行ってやる」
「出目さんが犯人だと決まったわけじゃないだろう。名張さんが勘違いしている可能性もゼロじゃない。なあ明智さん」
進藤が慌てる。ここで騒ぎを起こすとまずいと顔に書いてある。
「ロジカルに考えれば、彼女が来る以前に時計が持ち去られていたなら、全員が容疑者にとなる。だが、彼女が時計を見たというのは紛れもない真実だろう」
「どうしてそう言い切れる?」
「今はハンカチだけが残されている。そして葉村君はさっきこう言った。『ここに置いてあった時計が見当たらない』と。だが直後に名張さんは『中をめくって確かめた』と証言した。ハンカチで時計を包んでいたなんて葉村君は言っていないのに。普通はハンカチを下に敷いていたと考える方が自然だ。『めくって』と言い切ったのは、彼女が時計の実物を目にしたからだ」
「ほらね、ということは盗んだには私か出目さんが。どうぞ好きに調べてちょうだい」
名張が胸を張り、明智が補足した。
「さらに言えば、名張さんが時計を盗み、星川さんが駆け寄った時に渡した。という可能性も無きにしも非ずだ」
「いいわ、じゃあ私のことも調べるといいわよ」
星川もそう言って出目をかばおうとする進藤に見せつけるように両腕を広げる。
比留子が手早くボディチェックを施し、「ありませんね」と証言した。これには進藤も反論できなかった。
皆がいったん部屋に戻る中、葉村は事情を聞くために出目の部屋に向かうことにした。ありがたいことに、心配した明智と高木がついてきてくれるという。だが残念なことに訪問は空振りに終わった。出目の部屋にいくら声を掛けても応答がなかったのだ。
「あの3人なら、さっきエレベーターで下りてきて外に出て行きました」
フロントにいた管野に聞くと、そう答えがあった。きっと肝試しの下準備に行っていまったのだろう。
明智が尋ねる。
「高価なものだったのか」
「いえ、値段自体は大したことはないんですが、妹が高校の入学祝いにくれた時計なんで」
しかも震災から間もない時期で皆がてんやわんやしていた中、苦労して買い求めてくれたものだ。葉村にとって金銭に換えられない価値がある。タイミングを見て取り戻さなけばならない。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
一通り腹が膨れ遠くの景色に意識を向けていると、不意にラジカセの音楽に隠れて重低音の進藤が森を揺らした。何かと思っていると、東から現れた3機のヘリコプターが編隊を組んで横切って行く。しかもそれが災害派遣などに使われる自衛隊機らしいもので、例のロックフェス会場のある山の向こう側へと高度を下げて行った。
「何を考えているんだい」
思考を断ち切ったのは比留子だった。
「ただの食休みですよ」
「じゃあ私もご一緒させてもらっていいかな」
比留子はそう言うといきなりワンピースの胸元に手を突っ込んで、合宿のしおりを取り出した。
「な、なんでそんなとこに入れてるんですか」
「いつ必要になるかわからないもの。それに急にナイフで刺されても盾になるし。
それにしても参加者は興味深い人ばかりだね。葉村君はもう全員の名前を覚えた?」
「多分、苗字だけなら」
「そう、私は覚えやすい名前が集まったと思ったけど」
比留子は一人ずつと名前とその外見や特徴を列挙し始めた。
「まずは部長の進藤歩。進むと歩むで、真面目そうで、几帳面っぽいところが表れている名前だね。
次に演劇部で彼の恋人の星川麗花。星と川と麗しい花だよ。まったく美人のためにあるような名前だね」
「もう一人の演劇部員、名張さんはどうです?」
「名張純江だね。乗り物酔いと蜥蜴騒動の彼女だ。いかにも神経質そうじゃない。名張純江を縮めてナーバス、なんちゃって。
次に高木凛。背も高いし、ポーイッシュで凛とした雰囲気もぴったりだ。
それから静原美冬。大人しい感じが冬っていう言葉でうまく表現されているね。
機器類を担当していた彼は重元充、理学部2回生だそうだ。小太りの外見が、重くと充ちるという感じにぴったり。
それともう一人は下松孝子さんだったかな。彼女はなかなか強かな女性だよね。下と孝でしたたか。
あとは適当。管理人の管野唯人さんはまんまだし。七宮兼光は親の七光り、立浪波流也は外見も名前もサーファーっぽいし、出目飛雄はぎょろっと目が飛び出している、以上」
そこで、比留子は少し真面目な調子に戻った。
「で、このしおり、ちょっと気づくことはないかい」
彼女は部屋割りのページを開いた。管野から聞き出したのか、空白だった部屋にOB3人組の名前が書き加えられていたが、それ以外に変わった点は見当たらない。
もう一度部屋割りを見直すと、立浪の204号室の隣に星川、七宮の301号室の隣に下松、出目の207号室の隣に名張の部屋がある。しかも建物の3つのエリアに分かれてそれぞれの部屋が配置されているのだ。もしかすると部屋割りにまでOBたちの意向が反映されているのではないか。
そういえば、今日何度か高木に鋭い視線を向けられた。去年もこの合宿に参加したという彼女はそういった事情を承知していて男性すべてに警戒しているのかもしれない。
やがてお開きになり、後片付けが始まった。
葉村は洗い物を引き受けることにした。洗い場は広場の階段を上がった紫湛荘の横手にある。
葉村が鉄網や鉄板を洗っていると、高木がやってきて、葉村の隣でタワシで汚れた鉄網の汚れを落とし始めた。
「どうしてお前や明智はこの合宿に参加したんだ?」
「脅迫状のことは聞いていますか?」
「ああ、生贄だの書いてたやつだろう」
ペンションでの合宿というミステリ要素の強い催しに明智が興味を持ったこと、脅迫状や去年起きた自殺のことを聞き知ったこと、比留子とセットで参加させてもらったことを説明する。
「そういうことか、悪かったな、きつく当たっちまって。
ただ剣崎って子には気を配っといてやれよ」
「やっぱりこの面子が集められたのって、意図的なものですか」
「おそらくな。七宮が進藤に圧力をかけて集めさせたんだろう。だから女子は綺麗どころ、男子は重元みたいな戦力外ばかり。まあ下松は就職のチャンスだとか騒いでいたけど」
「それがわかっていて、どうして高木さんは参加したんですか?」
「こんなくだらんイベントに後輩が巻き込まれてんだ。ほっとけないだろ」
「それって静原さん?」
小さく頷きが返ってきた。
「汚い奴だよ、進藤は。特に七宮には頭が上がらない。脅迫状のせいで皆参加を取りやめちまって焦ったんだろうな。その穴を埋めるために、最初は自分の彼女を巻き込みやがった。
けどさすがに彼女に手を出されるのは避けたかったんだろうな。躍起になって他の女子部員を参加させようとした。進藤は美冬が先輩からの頼みを断れない性格なのをわかってて言い寄ったんだ。あたしが気づいた時にはもう参加が決められていて。二度とここに来る気なんてなかったけど、あの子を見捨てられないじゃないか」
「じゃあやっぱりこの部屋割りも?」
「そういうこと。まあお前が隣っていうのが美冬にとっちゃ幸いだが」
「もし俺が気の迷いを起こしたらどうなるんですか?」
「蹴り潰す」と高木はニヤリを笑った。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
午後6時、紫湛荘前の広場でバーベキューが始まった。
バーベキューの道具や食材はOBが用意してくれた。
七宮たちOBは昼間のうちに反省会でもしたのか、まずは先輩らしい物腰で場を仕切った。
「我が母校である神紅大学から今年も後輩たちが遊びに来てくれてなによりだ。どうか皆の親睦を深め、いい思い出を作ってほしい。乾杯」
気取った七宮の言葉で晩餐が始まった。
今やほとんど見かけない古めかしい大ぶりのラジカセが広間の真ん中にでんと置かれ、先ほどから夏の定番曲を大音量で垂れ流している。
「そろそろ聞き込み開始と行くか」
まだ肉も焼けないうちに明智が紙皿と缶ビールを手に辺りを見回す。
しかし、葉村は気が進まなかったので、雑用に回り、トングを握って鉄網の上の食材を黙々とひっくり返していった。
途中、葉村は腕時計が煙をかぶるのが嫌で、駐車場の壁際、電灯の真下の地面にハンカチで包み置いた。
「ご苦労さん、君たちが今年の新入生か」
葉村が振り返ると、日焼けした長身の男が立っていた。立浪だ。
「すみません、僕は映研でも演劇部でもないんです。たまたま人数が足りなくなったところに飛び入りをした者で」
「どういうことだ?」と立浪は初耳だというように聞き返した。
「脅迫状が届いたんだってよ」と七宮が背後から告げた。
「誰宛に?」
「さあな、進藤はただの悪戯だと言い張ってたけどな。それで、どうして君たちが来ることに?」
「我々はおまけですよ」と明智が話に割って入り、比留子と一緒にどういう条件で付きで参加することになった経緯を二人に説明した。
「まあしかし、脅迫状一つで辞退者が続出するとはいささか過剰反応のような気もしますね。噂ではその文面も『今年の生贄は誰だ』というたった一言の文面だったようです」と明智が続けた。
「進藤の言う通り、悪戯だったということだろう」と七宮が言うと、明智が、
「ですが、こうは考えられませんか。脅迫状は大勢の部員にではなく、ごく限られた人に向けて書かれたものだと。『生贄』という言葉が指す何か不都合が事実を公表するぞ、という脅しなんじゃないですか」
それを聞いていた立浪が口を挟んだ。
「合宿の手筈を整えていたのは進藤だ。少なくとも進藤にはその意味が伝わるだろうと考えていたということになるな」
「それだけではありません。去年の合宿で起きたことであるなら、他にも意味がわかる人がいるかもしれません」
これは「去年の合宿であんたたちが何かしなんだろう」と言ってるのも同然だ、と葉村を思った。
「脅迫状の目的が合宿の中止だとすれば、曖昧な表現などせず真実を明かしてしまえばいい。なのにどうして犯人はそうせず中途半端な脅しに止めたんだ?ようするに根も葉もない噂を聞きつけた犯人の悪戯という線が濃厚だと思うが、どうかな?」と立浪が言った。
明智は笑顔と取り繕い、「なるほど、そうかもしれませんね」と応じるしかなかった。
その後はいざこともなく宴会は進んだ。
途中、下松が「あっれー、携帯の電波が通じないんだけど」と不満の声が上がった。
葉村もスマホを確認すると、確かに圏外の表示が出ている。おかしい、紫湛荘の中では使えたのだが、と思った。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
男4人と女6人の合計10人が2台の車に分乗してやってきたのは、山を分け入って10分ほどの場所に立つ廃ホテルだった。
荷物を下ろした葉村たちは、幽霊役を演じる演劇部の星川と名張が車の中で着替えるのを待ち、中に入った。
進藤が先頭に瓦礫の散らばった廊下を進み、ロビーらしき空間に着いたところで荷物を下ろして準備を始める。
高木と静原は幽霊役の二人の衣装やメイクのチェックに付きっきりで、進藤と下松は演技の段取りを確認、重元は機材のチェックをしている。葉村たちは、裸足の役者が怪我をしないようにあたりのゴミを拾いながら、邪魔にならないように部屋の隅でおとなしくしていることにする。
よく見てみると、ロビーの片隅のは所々に落書きがあり、煙草の吸殻、コンビニパンの包装などが捨てられている。そして、他の部屋や廊下では散らばっている瓦礫が、スペースを確保するためか明らかに端に寄せられているのだ。まるでここで誰かが生活していたようだ。
一同が撮影の流れを確認している間、葉村と明智は、廊下にいた高木に近づく。
その時、女性の悲鳴が響いた。撮影隊がいる部屋からで、駆け付けてみると、名張が
「蜥蜴がいたの、追い払って!」とヒステリックに訴えている。
進藤が靴で瓦礫をかき分け、「何もいないよ」と言った。
「ちゃんと探してよ」とキンキンした声で名張が訴えたので、明智が
「我々に任せてもらおうか。動物探しは探偵の基本だからね」と二人の間に割って入った。
明智と葉村が瓦礫をひっくり返して、蜥蜴を探し始めると、小さな注射器と黒い革張りの手帳を見つけた。
手帳のページをさっとめくると、文字がぎっしりと書き込まれている。日記というより膨大なメモといった感じだ。
「何、それ」と重元が覗き込んできた。
重元はしばらくページをめくっていたが、何食わぬ顔で自分の鞄に手帳を放り込んだ。
名張が、「もう大丈夫」と言ったので、撮影が再開された。
午後4時半になったころ、進藤が「今日はこれでいいだろう」と言ったので、撮影は終わった。
後片付けをし、荷物を持って廃墟を後にした。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
広大な敷地の中、鋼鉄の骨組みで造られたライブ会場で宴が始まった。
人込みを抜け出した浜坂が汗を垂らしながら車から戻ってくると、駐車場にはすでに半分以上の仲間が戻っていた。
彼らは手分けして観客の中に紛れ込み、何十人もの体に『あれ』を付着させた微細な針を突き刺してきた。わずかな痛みを感じた者もいるかもしれないが、興奮状態にある人々のほとんどは気づいていないはずだ。おそらく発症までに4時間はかかるだろう。だがそのころにはステージは熱狂の渦と化し、観客は逃げるに逃げられない状態に陥っているはずだ。
全員が集まると、浜坂たちは車に乗り込む。クーラーボックスからジュラルミン製の鞄を取り出し、車内で顔を突き合わせた彼らに1本ずつ液体を吸引した注射器が行き届いた。
浜坂は針を己の腕に刺した。
「行くぞ、俺たちこの革命の尖兵だ。マダラメ、万歳!」
浜坂のわざとらしい掛け声に合わせて男たちは喜々として反応し、次々と肌にブランジャを押し込んだ。
仲間に内緒で廃ホテルに残してきた1冊の手帳に思いを馳せる。無能な学者どもの資料にされるのは業腹だが、せめてあれを解読する程度の好奇心を持つ人間に見つけてほしいものだ。
「さあ、あとは残された時間を楽しもうじゃないか」
スライドドアを開け、キャリアーとなった男たちが外へと踏み出した。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
部屋のカードキーは表に部屋番号、裏面には磁気ストライプが入っている。ドアに付いているスロットに押し込むと、ピッと音がなって鍵が開いた。
意外だったのはドアが外開き、つまり廊下側に開くということだ。客室のドアが廊下を塞ぐと避難の妨げになるからと聞いたことがあるが、もしドアの内側で人が倒れた時に開閉ができなくなってしまうので外開きに方がいいという説もあるし、そう珍しいことでもないかもしれない。
中に入ってドアを閉めると、自動的にガチャンと錠が下りる音がいた。ドアにはドアガードが付いていて、掛けると10センチほどしか開かないようになるし、開けた隙間に挟めばストッパーとして半開きのまま保つこともできる。
カードキーを壁際のホルダーに押し込めば室内の電気が使えるようになるのは、ビジネスホテルと同じだ。
部屋に入ってまず目に飛び込んできたのは大きな窓からの眺望。晴天の下、森の向こうに広大な娑可安湖がくっきりと広がり、まるで海のようだ。
部屋も想像よりも広めだった。10畳ほどの空間に廊下と同じ臙脂色の絨毯が敷き詰められ、セミダブルのベッドと電話機の載ったナイトテーブル、鍵付きのデスクなどが置かれていた。壁には珍しくデジタルの掛け時計が掛かっており、葉村の腕時計と同じ時間を刻んでいる。電波受信の表示があるので電波時計のようだが、時分のみを表示するシンプルなものだ。
ベランダは外向けの観音開きになっていて、外には戸がギリギリ開くくらいの狭いスペースがある。椅子を持ち出せるほどではないが、外の風を満喫するには十分だろう。
ベランダから外をのぞくと、右手に各部屋が斜めにずれた雁行型の建物の形が見えた。
集合時間まではまだ余裕があるので、葉村はペンションの中を少し見て回ることにした。
廊下の出て左、エレベーターホールの向かう。隣の静原の部屋を通り脱ぎ手まず目についたのは、廊下からエレベーターホールへ抜ける地点に1枚の扉があること。木製だり、防火扉というわけではなさそうだが、今は開け放たれている。よく見ると扉のどちらの面にも鍵穴が付いている。つまりどちらからでも鍵をかけられる造りなのだ。
しおりの平面図によると建物は扉によって、東、中央、南の3エリアに分かれているようだ。この扉から手前、葉村と静原の部屋があるのが東エリア、エレベーターホールがあるのが中央エリア、そこを進み同じような扉を超えた先が南エリア。各エリアには2つから3つの部屋がある。
部屋割りでは3階中央エリアの3部屋には東から、進藤、重元、明智の名が書かれている。重元というメンバーにはまだ会っていないから、おそらく先乗りの一人なのだろう。進藤の305号室だけは部屋の並びが他と違い、窮屈そうな位置にドアがある。部屋によってドアが右開きだったり、左開きだったりするのは、おそらく排水管やガス管の関係で室内のレイアウトが左右対称になっているためだろう。
エレベーターホールには客室以外にも2つの扉があった。扉のプレートに倉庫、リネン室と書かれている。
その時、南エリアの廊下から一人の女性が姿を現した。
「ひょっとして、ミス研の明智さん?」
「研究会ではなくてミステリ愛好会です。1回生の葉村といいます」
「あたしは社会学部3回生の下松孝子。よろしく」
下松もまた美人だったが。ふわふわのパーマを掛けた金髪をポニーテールにし、きっちりメイクを施したその風貌をどちらかというとギャル寄り、今どきの街の女の子といったイメージだ。
「君達、わざわざ参加を志願したって?誰か狙ってる女子でもいるん?だといたらけっこう大変よ。今回ガード固めの子が多いから」
「いやいや」
「あれ違うの。やだひょっとして君もライバルなわけじゃないよねぇ。あんまし大きな声じゃ言えないんだけどぉ、ここを提供してくれてる七宮さんって先輩知ってる?」
「ああ、さっき会いました」
「あの人のおうちって、有名な映像会社やってんのよね。それでさ、彼にうまく気に入られたら就職を口利きしてもらえることがあるんだって」
「下松さんはそれを本気にして合宿に参加したんですか」
「そりゃそうよ。あたしの成績じゃ普通に就職活動したってロクなとろこに受かる自信ないし、何十社も試験を受けるなんてウンザリでしょ。じゃなかったら誰がこんなボンボンの道楽に、あながちデマってわけでもないのよ。実際その会社には去年も就職した人がいるの。こんなふうにペンションを息子の好きに使わせるくらいだからさ、親も相当な甘ちゃんなんじゃない?」
「さっき、君もライバルって言ってましたよね。他にも就職のコネが目的な人がいるんですね」
「あいつよ、あいつ。部長。あいつそんな頭良くないからね。そういううまみでもなけりゃ彼女連れでこんな合宿に参加しないでしょ。だから先輩の機嫌と取ろうと必死なのよ。
っと、撮影の準備があるんだった。君達も同行するの」
「はい。もし何かお手伝いできれば」
「オッケー、じゃあ後でね」
下松は軽やかに手を振りエレベーターで下りていった。
葉村はそのままエリア間の扉を開けて南エリアへ向かう。
南エリアは2つの部屋が並んでいた。手前の302号室が先ほどの下松の部屋、そして一番奥が空白になっている。OB連中の誰かが泊まっているのだろう。奥へ進むと非常階段へと出る扉に行き当たる。
葉村は中央エリアまで引き返し、2階に下りることにした。エレベーターは菅野が言っていた通り、かなり手狭だった。定員は4人となっているが、こういう場合は一人当たり65キロ計算と聞いたことがある。つまり合計260キロ。大人の男が荷物持って乗れば3人でもギリギリではないだろうか。
2階につくと、目を見張る光景が現れた。3階とは違い、広々としたラウンジがあったのだ。高級住宅の居間をそのまま移し替えたような、60インチはあろうかという大型テレブが隅にあり、その前に贅沢なソファーセットが並んでいる。壁際には部屋と同じ電話機、ウォーターサーバーやコーヒーメーカーまで用意されていたが、一番目を引いたものは別にあった。
重厚な造りをした武具のレプリカの壁一面に飾られていたのだ。オーナーの収集品だろう。
見る限りでは日本刀はなく、西洋の剣や槍、ハンマーなどが鈍色の光を放っている。ファンタジーもののゲームやアニメではおなじみの装備だが、実物を目にするは初めてだ。まず目についたのは様々な剣。片手、両手持ちの両用可能なバスタードソード、美しい曲線を描くシャムシール、それに細長いのはレイピア、いや直線的でシンプルな鍔からしてエストックだろうか。槍はほとんどショートスピアーだろうが、それでも2メートル近くある。短剣ではダガーにククリ、さらにボウガン、珍しくメイスもあるではないか。そして壁際には横長のアクリルのケースが並び、中に忠誠の戦の様子を再現したミニチュアが組まれていた。
「すごいでしょう」
振り返ると管野が立っていた。東の階段を上ってきたようだ。手にはコーヒーフレッシュと紙コップの袋を持っている。補充に訪れたのだろう。
「価値はよくわかりませんけど、オーナーはよっぽど中世の戦が好きらしくて」
「作り物ですよね」
「刃は潰しているみたいですが、素材は本物と一緒だって聞きましたよ。今でも月に一度は埃を払って手入れをするように指示されているんですよ」
「あれは?」
テレビ台の脇を固めるように、左に4体、右に5体、葉村の腰くらいの高さ、1メートルほどの全身像が並んでいる。青みがかった鈍色をしているところを見ると銅像だろうが。
「西洋で有名な九偉人のブロンズ像らしいですよ」
「まあ猟銃がないので安心しました」
「数年前まではあったらしいですよ」
「えっ」
「兼光さんが内緒で持ち出して撃ってしまったことがあって、それ以来置かないようにしたんだとか」
「そういえば管野さん。この紫湛荘はペンションとしては少し変わってまうよね。用途不明な扉があったり、部屋が広い割に全室シングルだったり。従業員も管野さんだけですよね」
「この建物は昔オーナーが別荘として使っているものを会社の研究施設兼保養所そてい増改築してもので、廊下の扉はその名残なんですよ。ペンションと呼んでいますが利用者は社員とその家族だけなので、普段は暇なんです。パートのお手伝いさんがいる時もありますし」
その時後ろからやりとりが聞こえてきた。
「歩、心配ないって言ったよね。あれで心配ないって本気で思うわけ?」
「ちゃんとするから」
「そういう問題じゃないでしょ!あの時どうして強く言ってくれなかったの」
「そんなこと言っても」
20号室は星川の部屋のようだし、歩というのは進藤の名前だったはず。
「大変ですね。喧嘩と告白は旅行初日が一番危ない」
隣で管野がぼそりと言う。
言い争いは続いていたが、そろそろ約束の時間になりそうだったので、1階に下りることにした。
ロビーには比留子がいた。ラウンジの武具なんどについて意見を交わしていると、約束の2分前になって現れた明智がスマホの受信感度が悪いのかあちこちに向けながら「明日は雨になるらしい」と言った。
「クローズドサークルですか」
葉村がそう言うと、比留子が首を傾げたので、葉村が補足する。
「天候や進路の遮断で事件現場から出られなくなるのは、ミステリでよくある展開なんですよ。
そうなると警察の手が及ばず、捜査の手がかりを圧倒的に少なくなりますからね。論理的な推理に頼る場面が増えるってわけです」
そんなことを話していると、映研の面々が集合してきた。ほとんどのメンバーはすでに顔を合わせているが、一人だけ初見の男がいる。Tシャツにチェックの上着を羽織り、緑の太い眼鏡をかけた肥満気味の男。彼が重元だろう。
進藤に明智が尋ねる。
「このあたりで撮影するのかい」
「いや、車で少し行ったところに潰れたホテル跡がある。そこが撮影場所だ」
そう言って進藤は比留子の足元に視線を向けた。
「ほとんど廃墟だから、素足にサンダルだと危ないかもしれませんよ」
「廃墟に行くとは知らなったもんだから、うかつでしたね」
「それなら、向こうに着いたら私の靴を使えばいいわよ」
親切な提案をしたのは星川だ。そんな彼女が履いている白いパンプスを見て進藤は首を傾げる。
「君だって替えの靴なんて持ってきてないだろう?」
「そうだけど、幽霊を演じる時には脱がなくちゃいけないだもの」
「そうか、幽霊役は裸足だったな。じゃあどちらにせよ怪我をしないように撮影場所だけは掃除をしなきゃいけないだ」
その時、下松が明るい声をかけてきた。
「部長、探偵さんたちも一緒に行くんなら1台じゃ無理だよ。撮影道具もあるし」
「いいよ、管野さんにワゴンを借りて2台で行こう」
「僕、場所を知りませんよ。そっちが先導してくれないと」と重元が口を尖らせる。
「わかってる。でもあの大きさのワゴンの車の運転は、ちょっと自信がないな」
進藤は運転が苦手らしい。すると明智が手を挙げた。
「それなら俺が運転しよう。なにかあった時のために大型免許も持っているから任せてくれ」

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
渋滞した道をとろとろ進むうちに車窓には海かと見まちがうほど大きな湖が姿を現した。娑可安湖だ。広さは琵琶湖の1/5程度らしいが目前にすると十分に壮大だ。
「あれですよ」
管野が指さした先に一瞬、ベランダに掛かる赤茶色の屋根らしきものが見えたが、すぐに生い茂る木々に飲み込まれてしまった。
「なんというか、ずいぶんな立派な建物ですね」
田舎の小学校くらいの大きなはあるんじゃなかろうか、と葉村は思った。
駐車場にはすでに2台の車が停まっていた。
「赤のGT-Rか」と明智がつぶやく。
「兼光さんの車ですよ。ここのオーナーの息子です」と管野が苦笑する。
「はッ、去年はそこの坂で底を擦っただの騒いでいた癖に、懲りない奴だな」
振り向くと車内ではあまり口を利かなった高木だ。
玄関に入ると、床一面の臙脂色の絨毯が敷き詰められていた。正面のガラス窓のはまったフロント、奥に小さな庭に面したテラスに見えた、左手にはバレーボールのコートを轢けそうなくらい広いロビーがあり、ガラス張りの大窓から太陽光が差し込んで照明なしでも十分明るい。
ロビーにはテーブルを挟んでソファが並び、そこに3人の先客が座っていた。そのうちの一人の男がこちらを向く。ギョロリとした目つきで両目の間が広くモヒカンに近い髪形をしているせいで魚類を彷彿とさせた。
「おっせーよ。こっちは朝からずっと女の子を待ってんのにさぁ。先に到着したのはデブ男で吐きそうになったぜ」
進藤が頭を下げる。
「すいません、道が混んでて。あの、女の子も一人先に着いてませんか」
「知らねえよ」
ずいぶん偉そうなので、おそらくオーナーの一人息子だろう。
「やめろ、出目。俺たちが恥ずかしい」
それを諫めたのはよく日焼けした男だった。オールバックの髪を後ろで結び、白シャツの胸元に銀のネックレスを下げたワイルドな二枚目だ。
「初めまして、神紅大学の諸君。俺たちは映研かないが神紅大学のOBで、ここに座っている七宮の友人だ。俺は立浪波流也。そのうるさいのが出目飛雄だ」
出目はこめかみを叩きながら
「最初に聞いていた女子の数が減ったんじゃないか。進藤、要領の悪い奴だな」
「いえ、その、やむを得ない事情で来られない部員がたまたま重なりまして」
七宮は菅野にしゃくった。
「とりあえず部屋に案内してやってくれ。進藤、この後は撮影だったか」
「はい」
「晩飯のバーベキューは6時だ、遅れるなよ」
それだけ確認すると年長組3人はペンションを出て、駐車場へ下りていった。
「あの人がここのオーナーの息子だね」と明智が確認する。
「そう。3、4年前に卒業した映研のOBなんだ、今でも後輩たちを無料でペンションを泊まらせてくれるんだから、太っ腹だよね」
進藤は額に脂汗を浮かべて早口で釈明するが、女性陣からはかなり引いてしまっている。
一人平気そうな剣崎がしおりを眺めながら言った。
「部屋割りの名前が空白の部屋のどこかにはすでに彼らが宿泊しているとくことですよね」
星川たちは慌てて部屋割りを確認する。
空欄の部屋は2階に4つ、3階に2つある。そのいずれからにOBが泊っているなら、直接隣り合う可能性があるのは星川の203号室、名張の206号室、下松の302号室、静原の307号室だ。剣崎bの201号室の隣が高木だということを確認し、葉村は少し安堵する。
葉村の部屋は、3階の端っこで、隣は静原だ。
管野がフロントの鍵を開け、カードの束を持ち出した。
「じゃあお部屋のカードキーをお渡ししますね。部屋に入ってすぐ横の壁にホルダーがあって、そちらにカードを挿すと電気が点きます。オートロックなので、外出の際は室内に忘れないよう注意してください。
あ、それと、あちらのエレベーターはかなり狭くてせいぜい4人くらしか乗れないんですよ。全員が一度に上がるのは無理なので、階段も使っていただければ」
エレベーターの左手に東へ続く廊下があり、その先に階段がある。遠回りだが葉村の部屋は階段から近いので、階段を使うことにした。
明智が時計を見ながら言った。
「この後、他のメンバーはさっそく撮影に行くそうだが、俺たちはどうする?」
少し考えて、撮影に同行させてもらうことにした。
「剣崎さんはどうします?」
「一緒に行くでしょ。それとね、葉村君、剣崎って呼ぶのやめてくれるかな。比留子でいいよ」
「わかりました、比留子さん」
比留子は201号室なので、後で落ち合う約束をして2階で別れ、葉村は明智といっしょに3階に上がった。明智の部屋は303号室でエレベーターホールのすぐそばだ。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
途中の駅で早めの昼食をとり、JRから私鉄に乗り換えてさらに30分。電車はある地方駅に到着した。
ホームの階段を下りようとしたところで、後ろから声をかけられる。
「明智さん、剣崎さん」
振り向くと二人の男女が立っていた。
「おお、進藤君、今回は無茶を聞いてくれてありがとう」
映画研究部の部長の進藤は、眼鏡をかけて気の弱そうで、真面目そうな風貌をした痩躯の男性だ。
「本当なら許可できないんだけどね。剣崎さんの提案もあったし、場合も場合だった。まあ楽しくやろう」
二人はこちらに向き直ると自己紹介した。
「語句が映画研究部長の芸術学部3回生、進藤歩。それとこっちにいるのが」
「進藤君と同じ、芸術学部3回生の星川麗花です。私は演劇部なんですけど、撮影に参加させてもらいます。よろしく」
緩くウェーブのかかった栗色の髪とアイドルのような愛嬌のある顔出ちの美人だ。二人の指にはおそろいの指輪が光っていた。恋人同士なのだ。
続いて葉村たちも自己紹介する。剣崎が名乗ると進藤は、
「今回は助かりました。なかなかメンバーが集まらなくて」
と、頭を下げた。明智の時とはずいぶん態度が違う。
「他のメンバーは?」
明智ががらんとしたホームを見回す。
「道具類と一緒に車で先行している部員もいるから、ここで合流するのはあと3人だな」
進藤が答えた。
改札を出ると、駅前のこじんまりしたロータリーに大きなワゴン車が停まっているのが見えた。
運転席から男性が降りてきた。眼鏡をかけた誠実そうな雰囲気な男で、年齢は30前後に見える。
「どうも神紅大学の方ですね。僕はペンションの管理を任されている管野唯人といいます」
「去年の方はお辞めになったんですか」進藤は少し戸惑いを見せる。
「ええ、僕は去年の11月からお世話になっています。他の方はもう乗られています」
車にはすでに到着していたメンバーが3人が乗り込んでいた。
ところがその並びを見て不思議に思った。ワゴン車の座脇は全部で4列、前から2・2・3・3だ。先着していたメンバーは2人が最後列に陣取り、一人が助手席に座っていた。まるで反発する磁石のように最も離れた座席に分かれるのはいかにも不自然だ。
進藤も怪訝な顔をしたが、黙って2列目に乗り込む。続いて、明智も彼の隣に。
葉村と剣崎は3列目の奥から詰めて、星川がその隣に座る。
助手席の女性はひどく早口で告げた。
「すみません。乗り物酔いが酷いもので」
鋭い空気をまとった理知的な印象の美人だった。近くにいる明智が応じる。
「大丈夫ですよ。俺は明智といいます。後ろにいるのが葉村君と剣崎さん」
「名張純江です、芸術学部2回生」
すると、今度は後方からぶっきらぼうな声が飛んできた。
「あたしは高木、こっちが静原」
右側に座っている背の高い気の強そうな方が高木、左側の小柄でおとなしそうな方が静原らしい。高木はボーイッシュなショートヘアとくっりした目鼻立ちが印象的な美女で、一方の静原は瀟洒というのがしっくりくる黒髪の少女だ。
車がロータリーを出発した、駅が出て10分も走ると周囲から人家は消え、緑豊かなエリアへと入って行く。だが以外にも片側一車線の道路は多くの車でごった返しており、なかなかスムーズに進むことができない。
「いつもはガラガラなんですが、今日と明日は近くの自然公園でイベントがあるらしくて」と管野が言うと、高木が補足する。
「サベアロックフェス。さっき調べたら有名どころのバンドも参加するらしい。な、美冬」
話を振られた静原は、小声ではい、と頷いた。
「去年は確か日程が1週間ずれていたから被らなかったんだ」
「高木さんは去年も参加されていたんですか」と葉村が聞くと、「まあね」とだけ返される。
「僕と彼女だけだよ、2年連続の参加は」と進藤が言った。
「これが合宿のしおりね」
星川から平綴じにされた6ページほどの冊子が渡される。
中を見ると二泊三日の行動予定の他に、宿泊するペンションの部屋割りもすでに決められていた。ペンションの名前は紫湛荘というらしい。現役生の参加は映画研究部と演劇部、葉村たち部外者組の総勢10名。それにしても部屋割りに空白が目立つ。それを見て明智が口を開いた。
「部員の参加率はどれくらいのもんだい」
「半分もいないよ。参加の義務があるわけじゃないんだ。あとはペンションを提供してくれるOBの先輩が同期の友人は2人連れてくることになってる」と進藤が答えた。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
「剣崎比留子、どこかで聞いた名前だと思ったらが、ようやく思い出した。以前、警察に名刺配りに行った際、俺が神紅大学だと知って彼女の名前を漏らした刑事さんがいたんだった。なんでも警察ですら手を焼いた難事件、怪事件の数々に挑み、類まれなる推理力を発揮して解決へと導いた探偵少女なんだと」
剣崎が待ち合わせ場所に現れる前に、明智が葉村にそう教えてくれた。
「それが本当なら、マスコミが放っておかないと思いますが」
「どうやら彼女の実家は横浜ではかなりの歴史のある名家らしくてな、彼女が事件に関わるたびに報道を対して厳しい制限がけられるらしい」
「でもどうして今まで彼女と接触しようとしなかったんですか」
明智の性格からして、そんな風変わりな女性が同じ大学にいると知れば真っ先に会いに行きそうなものだが。
「俺にもプライドというものがある。彼女の実力は本物だ。それに比べ俺はまだなにもしていない。肩を並べるには早い」
だが奇妙な話だ。それほどの実力を持つ彼女が、大学の一サークル内での脅迫状騒ぎになどいちいち興味を示すだろうか。加えて明智たちにも合宿の参加を要請した理由もわからない。
明智が真面目な声音で言った。
「ともかく、彼女にはまだ得体の知れんところがある。取引の目的も不明だし、こっちもせいぜい気を付けることにしよう」

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
合宿当日の早朝、葉村は、大学の最寄り駅で明智と剣崎と待ち合わせて、電車に乗り込んだ。
目的のペンションは娑可安湖の側だそうで、参加者はその最寄り駅で集合ということになっている。娑可安湖周辺は避暑地としても有名で、個人の別荘やキャンプ地も多い。
「どうした、葉村君。朝っぱらから陰気な顔をして」
「陰気な顔は生まれつきです。結局二泊三日という説明しか受けていないじゃないですか。どんな人が来るのかわからないのに、不安になりませんか?」
「日本語通じる相手には違いないだろう。なんの心配があるんだ。そもそも事件というのはいつ起こるかわからんものだ。問題ない」
すると葉村を挟んで反対側に座っていた剣崎が振り向いて、葉村に詫びた。
「ごめんね。私が進藤さんからもっと詳しい説明を聞いておくべきだったね」
「いや、深い意味はないんで大丈夫です。それにしても、ペンションを貸切なんてずいぶんと太っ腹なOBがいるんですね」
葉村の問いに剣崎が口を開く。
「なんでも親御さんが映像会社の社長らしいよ」
ふと葉村は、剣崎が自分を凝視していることに気づいた。葉村の左のこめかみに走る古い傷跡を見ているのだ。4、5センチほどの裂傷の傷でかなり目立つ。普段は髪を伸ばして目立たないようにしているのだが、風が髪が乱れて見えてしまったのだろう。
「どうしたの、それ」
「昔、震災の時に瓦礫に打ち付けて怪我しまして」
「それは、たいへんだったね。後遺症とかは?」
「幸いにも。少々顔つきが悪くなって、時々怖がられるんですが」
気づいた時、剣崎の細い指が傷跡を撫でていた。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
山中の廃ホテルで、浜坂は残されたあと一つの使命を果たそうとしている。
廃墟には浜坂の他に5人の男がおり、そのうちの一人が高らかに吠えた。
「今から俺たちがパンドラの匣を開けてやる!」
彼らはこの計画の実行のためだけに浜坂が集めた働きアリだ。
これはパンドラの匣というより、班目機関と呼ばれた組織の戸棚。
今日彼らが開くのは、その引き出しの一つにすぎない。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
8月に入り、暇を持て余している葉村と明智は、大学近くに喫茶店に入り浸っていた。
明智は、また映研の合宿に参加したいと言って断られた、と話している。
そこへ美少女が近づいてきて、「失礼、ミステリ愛好会の明智さんと葉村さんですよね」と声を掛けてきた。
美少女は、身長150センチほどの小柄だが、風貌は佳麗で、そこいらの女子大生とは違う生き物に思えた。
「どちら様でしょうか」と明智が問うと、美少女は、
「初めまして。文学部2回生の剣崎比留子と申します」と答えた。
「剣崎さん、それで我々に何か御用で?」
「取引しましょう。明智さん、映画研究部の合宿に同行したいのでしょう?」
「なぜそれを?」
「映研に所属している友人の話を小耳に挟んだので。ずいぶんと熱心に食い下がられているとか」
「ええ、すげない返事ばかりですがね」
「その様子では断られた理由をご存じないんですね」
「単に部外者を参加させたくないだけだと思っていたが」
「まあ、これも友人から聞いた情報なのですが、あの合宿の一番の目的は作品の撮影というよりは、部内でのコンパなのです。しかもそのペンションは映研の卒業生の親が所有していて、貸切の上無料で泊まらせてもらえるのだと。ただ部屋数に限りがあって、部員全員は参加できないらしいのです。合宿と呼んでいますが、実際は招待という形に近いイベントなのでしょう。だから部外者を交ぜる余裕などないというわけです。ですが、合宿まであと2週間ちょっととうタイミングで、多くの部員が合宿への参加を辞退したのです。実はこの話をしてくれた私の友人というのもその一人でして・・・」
「どうしてまた?」
「脅迫状が届いたそうなんです。見つけたのは私の友人。ある日たまたま一番乗りで部室に入ったところ、1枚の紙が机の上に置いてあったそうです」
「内容は?」
「『今年の生贄は誰だ』と、赤マジックで筆跡をごまかすようなめちゃくちゃな字で書かれていたそうです。部員たちはこの内容に思い当たる節があったみたいで・・・実は去年の合宿に参加していた女子部員が夏休み明けに自殺したらしいのです」
「ああ、そういえばその話は聞いて調べた気がするな。けど結局事件性はないとかで、世間的には大きなニュースにならなかった」
「ええ、自殺の動機と合宿との因果関係は不明ですが、複数の部員の証言によると、去年撮影した心霊映像に彼らの仕掛けではない人の顔が写っていたとか」
「そのせいで祟りだが呪いだかにかかったと?」
「あくまで噂ですが。部員の間では合宿が原因だというのが暗黙の了承だったみたいです。実際去年は、自殺の他にも大学を辞めたり退部したりする部員が後を絶たなかったとか」
「参加をキャンセルした部員たちは脅迫状を真に受けたということですか」と葉村が口を挟んだ。
「この話には続きがあるんです。私の友人が脅迫状を見つけた直後、部長の進藤さんが部室にやってきて、脅迫状を見るなり、他言しないようにと、真剣な顔で迫ってきたというんです。実は進藤さんは去年も合宿に参加した数少ないメンバーらしくて、彼の態度に何か後ろ暗いものを感じた友人は隠しておくべきではないと判断し、他の部員にもその出来事を打ち明けて不参加を決めた。それで雪だるま式に参加を取りやめる部員が増えたというわけで」
「なるほど、事情は理解した。さっき取引と言ったね。あれはどうい意味かな?」
「ペンションを貸してくれるOBの手前、人数不足で中止するわけにいかないと進藤さんは頭を悩ませているようです。今なら部外者も受け入れられる可能性があります」
「だが俺は断られた」
「コンパが目的でOBから招待を受けているでしょうから。女性の参加者がいなくては話しにならず、進藤さんも苦慮しているようなのです。そこで、私と一緒と参加してくれませんか。
明智さんはなんでも神紅のホームズと呼ばれているとか。曰くのある合宿、差し代人不明の脅迫状、明智さん好みの事件なのでは?」
「そりゃあ好みと言えばそうだが・・・」
「実はすでに進藤さんとは話をつけてきました。女性の確保はかなり難航しているようで、演劇部の女子まで声をかけているそうです。私が参加するのであれば、男性2人の同伴も受け入れてくれるとのことです」
「待ってください。そもそもなぜ俺たちにこの話をもちかけてくれたんですか?」と葉村が割って入る。
「その理由を尋ねないこと。それが私からの交換条件です」
「取引成立、だな」と明智が答えた。

今日の屍人荘の殺人はどうかな?
神紅大学キャンパス内の食堂で、葉村譲は、先輩の理学部3回生の明智恭介といっしょに、服装や連れの様子を見て学生が何を注文するのかの推理勝負をしていた。
二人は学校非公認のミステリ愛好会のメンバーである。
大学にはもともとミステリ研究会があるのだが、その実雑談サークルでミステリ好きの明智には物足りなかったため、明智は独りでミステリ愛好会を立ち上げて会長を務めてるようになった。
そして、今年の4月に、新入生の葉村もミステリ研究会に入部しようとしたが、やはり物足りないと思っていたところを、明智がミステリ愛好会へ勧誘したのだ。
期末試験の最終日、明日から夏休みとのことで、葉村と明智は夏休みの予定をどうしようかと計画を立て始める。
夏休みに映画研究部が、どこかのペンションを借り切って心霊映像を撮る、と言う噂を聞きつけた明智は、何が事件が起こりそうだと感じ、部長に参加要請をしたが断られてしまった、と言い出すが、まだ諦めきれない様子だ。

屍人荘の殺人の読書開始!
剣崎比留子様
前略
先日依頼を頂いた班目機関なる組織の調査に関しての報告書を送る。
班目機関
戦後に岡山の資産家である班目栄龍が設立した研究機関である。
岡山県O市の人里離れた山中に造られた施設で、表向きは薬品研究を行っていたと記録が残っている。施設は複数階に地下室を含めてかなりの規模だったらしく、全国から奇人変人と評される研究者、学者を呼び集め、分野の垣根なく日夜様々な研究が行われていたとの証言が複数得られた。
班目機関は設立以来40年近くにまたって活動していたようだが、1985年、公安によって現在でいうところの特異集団とみなされ、家宅捜索が行われた後まもなく解体された。
ただこの時に回収された研究資料などの記録は一切残されず、班目機関が具体的になんの研究を行っていたのかは不明である。
だが、儀宣大学の生物学准教授であった浜坂智教という男の登場により、状況が大きく変わった。彼はある極左組織と深い関わりにあるということで3年ほど前から公安にマークされていた。そしてついにこの夏自宅は職場の家宅捜索を受け、その際自宅から班目機関のものと思われる研究資料が発見されたという。
しかし浜坂本人が大学の研究室の実験資料とともに姿を消した。
この彼こそが8月に、貴殿も巻き込まれた娑可安湖集団感染テロの首謀者である・・・
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