
今日の屍人荘の殺人はどうかな?
「うわあああー!」
悲鳴が遠くから聞こえ、静かになった。
目をこらすと、山の方からいくつかの人影が下ってくるのが見えた。
人影が3つある。地元の人だろうか。
「なんだが具合が悪そうに見えない?」
比留子の言う通り、3つの人影は酔っぱらったように左右に体を揺すっている。
続けて信じられない光景が目に飛び込んできた。
山道とは別方向、右手の湖へと大きくせり出した陸の先端へとカーブを描く県道を、こちらに向かってゆらゆらと近づいてくる10以上の人影が浮かび上がっていたのだ。
道路灯に顔が照らし出される。焦点を失った目、だらしなく開けたまま意味のないうめき声を漏らす口、赤黒い血と顔と衣服べったりと塗り付けている。中には服が裂け、裸身を晒している者もいる。
その瞬間、本能が勝った。「走って!」葉村は比留子の手を引っ張り返し、今来た道を引き返す。
引き返す先で人影を見つけた。シルエットから、重元・高木組だと気づく。
「こっちに来ちゃだめだ。戻れ!」
「なんだよ」
「戻れ、ヘンな奴が来る」
「来た!」
比留子が叫ぶ。
葉村はとっさに転がっていた石を掴み、人だかりに向かって思いっきり投げた。石は集団の一人に確かに当たった。それなのに悲鳴一つ、文句一つ上げることなく近づいてくる。
「マジかよ」
「逃げよう!」
葉村たちは必死に紫湛荘への道を駆け戻った。最後まで広場で残っていた立浪と名張は出発したばかりの葉村たちが必死の形相で戻ってきたので目を丸くしている。
「どうした?」
葉村たちは口々にあのおぞましい人影について喚きたてたが、立浪たちは困惑するばかりだ。
「とにかく外にいちゃいけない。ペンションに戻って戸締りを」
「いや、逃げた方がいい」
「奴らもここまで来るかもしれない。武器がいる」
「とにかく管野さんに行って武器になりそうなものを探して」
葉村たちは広場の階段を上がった。
「いったいなんだってんだ」
名張が管野を呼びに走り、立浪だけが腑に落ちない顔でそう呟いた時だった。不意に紫湛荘の裏手の藪をかき分けて誰かが現れた。肩で荒い息をつく七宮だった。
「神社から藪の中を突っ切ってきたんだろう。道もないのに無茶するもんだ」
と立浪が解説した。
「帰る途中で訳のわかんねえ奴に襲われて」
そこで葉村は七宮のパートナーがいないことに気づく。
「下松さんは?」
「あいつは捕まった。今頃はもう」
それに激高したのは高木だ。
「見捨てて来たのか!」
「どうにもならねえ!あいつら人を喰うんだぞ!下松を捕まえるなり一斉に襲い掛かったんだ」
「ゾンビだ」と重元が呟いた。
その時、名張とともに管野が玄関から出てきた。手には1本の槍、おそらく2階のラウンジに展示されていたものだ。
「来た!」
ぞろぞろと下の広場に侵入してきた集団に懐中電灯を向ける。その醜悪な姿を見て、名張の口から絹を裂くような悲鳴が上がった。
重元の言う通り、映画やゲームで目にするゾンビそのものだった。
だが今来たばかりの管野は愚かにも「早く病院へ」と叫びながら階段を下り、先頭の一人に歩み寄る。その瞬間、若者の姿をしたソレは倒れこむように管野に襲い掛かった。
管野の命を救ったのは彼を止めようと後を追った立浪だった。長い脚を活かして咄嗟に放った前蹴りがソレの胸元にヒットして転倒させる。
「逃げるぞ!」
二人は命からがら階段を上がる。
「殺さなきゃ駄目!」重元が叫ぶ。「ゾンビに噛まれたらもう助からない!そいつは人間じゃない、でなきゃ全員やられるぞ!」
おぞましいゾンビの群れは広場からの階段を上がってこようとする。だが段差を上がる動作すら満足にできないのか、途中で足を滑らせてりバランスを崩して転げ落ちたりしながら、実にゆっくりしたスピードで進んでいる。
管野の手から立浪が槍を奪い取り、階段から顔を出した一人に向けて突き出す。攻撃は胸板をあっさり貫通したが、血は噴き出さず、槍を突き刺されたゾンビはまだ動いている。
重元が再び叫んだ。
「心臓を潰しても無駄です。脳を破壊しなきゃ」
「そんなもんどうやるんだよぉ」
「目から脳まで突き刺すんです!」比留子が叫んだ。
その声に従い立浪が狙いを定めて何度も眼窩に槍を突き刺すと、ようやくそいつは動きを止め、後ろに続いていたソンビを巻き込みながら階段を転げ落ちていった。
槍先についた肉片を見た立浪は嘔吐した。だが彼らは次から次へと上がってくる。比留子が声を上げた。
「キリがない。紫湛荘に立てこもりましょう」
「それよりも裏から逃げるべきじゃないのか」
立浪の提案を聞いて、七宮が血相を変える。
「駄目だ!俺は山の中でも追いかけられた」
「うわあああ!」
その時、紫湛荘の裏手から進藤が悲鳴を上げながら姿を現した。おそらく彼も七宮と同じく、藪を突っ切って逃げてきたのだろう。だが隣にパートナーだったはずの星川の姿がない。
進藤は皆を見回すと悲痛な声で尋ねた。
「麗花はどこだ。先に戻ってきているはずだ!」
「星川とはぐれたのか」立浪が口元のぬぐう。
「僕が化け物の気を引いている間に逃がしたんだ。まだ着いていないのか」
全員が見ていないと首を振る。
進藤は「嘘だ!」と叫ぶなり半狂乱の勢いで紫湛荘に駆け込んでいった。
「麗花、いるんだろう、麗花!」
「俺たちも中に入ろう。ペンションに籠城するしかない」立浪が指示を出す。
「けど、美冬たちがまだ」と高木が訴える。
「どこか安全な場所に避難しているかもしれないだろう。このままじゃ俺たちが危ない」
高木も悔しそうに顔を歪めていたが、一人で仲間を助けに行くなどとは言い出さなかった。全員が建物の中に入り、管野の指示でガラス扉の外のシャッターを閉めようとした。
その時現れたのは、見覚えのあるアロハシャツの男性。
「明智さん!」「美冬!」
明智は背後に庇っていた静原を引き上げると、先にこちらに向かって押し出し、自らは下から迫りくる追っ手を蹴飛ばした。恐怖と息切れで真っ青になった静原が玄関に転がり込んでくる。
「明智さんも早く!」と葉村が叫んだ。
その声が聞こえたのか、明智はこちらを振り向き、駆け出そうとしてが、下から伸びて来た手が、明智の足首を掴み、痩せた女のゾンビが明智のふくらはぎに喰いついた。
明智はよろめき、後ろに倒れた、その瞬間、葉村と目が合い、明智の口が動いた。
「うまくいかないもんなんだな」
それを最後に明智はわずか数メートル先の地獄へとつながる階段を転がり降り、一行の前から消えた。
「シャッターを閉めましょう。あいつらが上がってくる」と葉村は言った。
こうして、葉村は呆気なく俺のホームズを失った。
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